はじめに
地球温暖化対策など,自動車に求められる環境対策は年々厳しくなっており,これに伴ってエンジン油の規格も変遷をとげている。本稿では,エンジン油規格の変遷の歴史とその背景を振り返るとともに,最近の動きから将来動向を探る。
1. API サービス分類の歴史
20世紀初頭から自動車産業が発展を始めた米国では,1920年代(推定)にAPI(米国石油協会)がエンジン油規格SAを制定したのを皮切りに,自動車の進歩に合わせて最新のSM規格に至るまでAPI サービス分類を制定・運用してきた。これまでに制定された主なガソリンエンジン油分類を表1に示す。なお,ガソリンエンジン油の場合,呼称の1字目には「S」が用いられるが,これはサービス(Service)の頭文字である。
表1 ガソリンエンジン油のAPIサービス分類の歴史
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これらの変遷を見ると,1980年代(SG グレード以前)までは乗用車の高性能化に合わせてエンジン油にも高性能化が求められてきた背景がある。また,新しいサービス分類は,それ以前のサービス分類の要求をも満足する(backward compatibility)ことと,米国の自動車メーカーの品質保証には指定された分類のエンジン油を使用していることが条件となるため,米国においては新しいAPI サービス分類が導入されると,比較的短期間で市場の品質が新分類に置き換わるという特徴がある。これは,日本やアジアの各国で複数のサービス分類があたかも品質グレードの品揃えに利用されているのと対照的である。
一方,1990年代以降のAPI サービス分類(SH以降)は,後述するILSACの影響を強く受け,GF-1からGF-4に至る各ILSAC規格から,主に省燃費性能とリン分濃度の規定を除いた内容となっている。
次に,これまでに制定された主なディーゼルエンジン油分類を表2に示す。なお,ディーゼルエンジン油の場合,呼称の一字目には「C」が用いられるが,これは商用(Commercial)の頭文字である。
表2 ディーゼルエンジン油のAPIサービス分類の歴史(2サイクルを除く)
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1930年代までは,ディーゼルエンジンにもSAグレードのエンジン油が適用されていたが,1940年代(推定)にディーゼル専用のCAグレードが制定されてからガソリンエンジン用とは区別された分類体系となって今日に至っている。これらの変遷を見ると,1990年代前半まで(CF-4以前)の分類はディーゼルエンジンの高出力化に合わせてエンジン油の熱安定性,清浄分散性などを強化してきた経緯がある。
一方,1990年代後半からは(CG-4以降),排出ガス規制の厳格化に対応してディーゼルエンジンの設計が変化する状況から,API サービス分類も新しい排出ガス規制の導入時期に合わせて制定されていることが分かる。
なお,1980年代までは米国では2サイクルの大型車用ディーゼルエンジンが製造されていたため,CD-IIやCF-2などの2サイクルディーゼルエンジン油分類が存在したが,1990年代以降の排出ガス規制に適応するとが出来なかったため,現在では4サイクルエンジンを対象とした分類のみとなっている。
2. 欧州のエンジン油規格の歴史
上述したAPI サービス分類は,エンジン油の性能・品質の尺度として広く国際的に利用されているが,国や地域によっては自動車の使用環境が異なり,また諸規制の違いなどから,安易に米国の規格をそのまま活用出来ない場合もある。
その一例が欧州で,1970年代の中盤からCCMC(旧欧州自動車工業会)がAPI サービス分類を部分的に活用しつつ,欧州独自の要求を織り込んだCCMC規格を制定した。CCMC規格にはガソリンエンジン油の「G」,ディーゼルエンジン油の「D」カテゴリーに加えて欧州の特徴であるディーゼル乗用車用エンジン油の「PD」カテゴリーが設定された。しかしながら,欧州各国の自動車メーカーの利害対立からCCMCは解散に追い込まれ,代わってACEA(欧州自動車工業会)が,基本的にはCCMC規格を踏襲したACEA規格を制定し,今日に至っている。
ACEA規格の変遷を表3に示す。制定当初は,ガソリンエンジン油の「A」,乗用車用ディーゼルエンジン油の「B」及び高負荷ディーゼルエンジン油の「E」の各カテゴリーに分類されていたが,2004年の改訂から新たに「A」と「B」のカテゴリーが個別ではなく,両性能を同時に満足するガソリン・ディーゼル兼用の乗用車用エンジン油として「A/B」カテゴリーとなったことと,新たに排気ガス後処理装置装着車に向けた「C」カテゴリーが登場した。
表3 ACEA規格の歴史
*パティキュレート・フィルターや三元触媒を装着した車両 |
欧州においても,自動車性能の進歩や環境規制の強化に対応して規格の改訂がなされてきたが,ACEA規格の場合,2年ごとに見直すことが定例となっており,必ずしも米国のように排出ガス規制変更のタイミングのみが規格改訂のトリガーとなっているわけではない。
3. ILSAC エンジン油規格の歴史
API サービス分類は米国で制定され,国際的に普及しているエンジン油規格ではあるが,制定のプロセスに自動車メーカーの要求が間接的にしか反映されていなかった点と,不当品質表示に対するチェック体制が不十分であったことから,1990年代の初頭に日米の自動車メーカーが協力してILSAC(国際潤滑油標準化・認証委員会)を設立し,自動車業界のニーズをより前面に押し出したILSAC規格を制定した。このとき,欧州自動車工業会はACEA規格を運用している立場から,ILSACには参画しなかった。
ILSAC規格の変遷を表4に示すが,その設立経緯から,自動車の環境対策に対応することを主眼とした規格となっている。ただし,従来のAPI サービス分類の運用体制との連携にも配慮しており,両規格間の整合性をとりつつ進めている点が特長である。
ILSAC規格は,現状ではガソリンエンジン油のみが対象であり,規格呼称に用いられている「GF」はGasoline Fueledの略称である。
表4 ILSAC規格の歴史
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4. 日本のエンジン油規格の歴史
日本では長年にわたってAPI サービス分類が広く用いられてきたが,分野によっては日本の排出ガス規制が世界で最も厳しいケースも発生し,またエンジン技術,自動車の運転条件なども欧米とは異なる点も多いため,日本独自のエンジン油規格の必要性が生じつつある。
一方,二輪車のようにすでに日本製の車両がグローバルに輸出または現地生産されている車種もあり,日本がエンジン油規格について世界をリードしていく必要性が高まってきた。
そこで,1993年に二輪車用小型2サイクルエンジン油規格が,1998年には二輪車用4サイクルエンジン油規格が,2000年にはディーゼルエンジン油規格が自動車技術会と自動車工業会ならびに石油連盟の協力によりJASO規格としてそれぞれ制定された。
日本のエンジン油規格の変遷を表5に示す。
表5 日本のエンジン油規格の歴史
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5. エンジン油規格をめぐる今後の動向
これまで,日米欧のエンジン油規格の歴史を概観してきたが,近年の地球環境問題への対応,資源保護への要求の高まりから,エンジン油への要求は今後ともより厳しくなっていくことが予想される。
ガソリンエンジン油の分野では,ILSACが現状のGF-4規格の後継であるGF-5規格の検討を進めている。新規格の主な変更点は,より高度な省燃費性能及びその持続性と,排気対策装置への適合性,更にはエンジン油としての腰の強さ,すなわち熱・酸化安定性や摩耗防止性の強化が狙いとされている。GF-5規格の市場への導入時期は,2010年型車が生産開始となる2009年の第4四半期が目標となっているが,省燃費性能を評価するSequence VI試験を始め,多くのエンジン試験が新たに開発される予定であり,これまでの進捗状況から見ると2010年後半の市場導入が現実的であるとの見方もある。本稿執筆時点におけるILSAC GF-5の概要を表6に示す。
表6 ILSAC GF-5規格の概要
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ディーゼルエンジン油の分野ではAPI CJ-4(開発コード:PC-10)の市場導入が2006年10月より開始されたばかりであり,次世代規格(PC-11?)の検討はまだ始まっていないが,米国では2010年前後にディーゼル排出ガス規制の一層の強化が予定されており,これに合わせて新規格の検討が行われることは確実である。
なお,米国のオンロード用軽油の硫黄分は,2006年6月より大半が15ppmとなっている。しかし,一部の地域とオフロード用軽油は依然として500ppmのものが2010年までは流通することが予想され,場合によってはアルカリ価の低いCJ-4が使用出来ず,一世代前のCI-4プラス(CI-4をベースに,せん断安定性とEGR使用エンジンにおけるスス分散性を改良した規格)を適用せざるを得ない状況が続くものと思われる。API CJ-4の概要を表7に示すが,9種類のエンジン試験と,8種類の実験室評価が要求されており,開発に要するコストが極めて高いことが懸念されている。
表7 API CJ-4の概要
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欧州では,乗用車用エンジン油規格の見直しが2007年に,高負荷ディーゼル用エンジン油規格の見直しが2008年に予定されており,「A/B」カテゴリーを減らし「C」,「E」カテゴリーを充実することと,旧態化しつつある各種エンジン試験の改訂が見込まれている。ACEA規格の検討状況を表8に示す。
表8 ACEA 規格(2008年改訂)の検討状況
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日本のエンジン油規格については,表5に示したように,JASO 2サイクル油規格が2003年に改訂されたのに続き,ディーゼルエンジン油規格が2005年に,また二輪4サイクル油規格が2006年に改訂されたので,当面は現状の規格体系で推移することが予想される。ただし,ディーゼルエンジン油については,欧米と同様に,日本においても排出ガス規制の強化が2010年前後に行われる見通しであり,これに向けた次世代規格の検討が必要となろう。
おわりに
数多くのエンジン油規格が林立する現況にあって,それぞれの歴史や経緯を解説することを試みた。近年の規格が環境問題への対応を主眼として,めまぐるしく変化している状況を理解いただければ幸いである。
最後に,この分野に対する日本の貢献が顕著になりつつあり,また国際社会とりわけアジア各国からの期待が高まりつつあることを付記して本稿のまとめとしたい。