はじめに
エンジン油はエンジンが正常に作動し,本来の性能や環境対策を発揮させる上で重要な要素の一つである。エンジン油に要求される物性や性能を規定し,それらを評価するための試験方法,合格基準などを規定するのがエンジン油規格であるが,制定された規格を適切に運用し,普及促進を図って行くことも大切である。
本稿では,日本におけるエンジン油規格の運用ならびに普及促進体制として設立されたオンファイルシステムについて,その概要を紹介するとともに今後の展望について述べる。
1. JASOエンジン油規格普及促進協議会について
1980年代までの日本におけるエンジン油規格は,主に米国のAPIサービス分類を利用し,場合によってはこれに各自動車メーカーが若干の改良(例えば試験エンジンを米国製から自社エンジンに置き換えた試験法を採用など)を加えたいわゆるOEM規格を設けていた。端的な例が,API CDグレードに日本独自の要求を加えた通称「Japanese CD」なる規格が日本国内で定着し,アジア諸国などで日本の自動車メーカーが推奨するCDと市場が認識しているAPI CDが微妙に異なるという事態が発生したこともあった。
一方,日本の自動車メーカーが海外に進出するにつれ,エンジン油の規格についても国際的な協調(ハーモナイゼーション)が必要となり,乗用車用ガソリンエンジン油の分野では,1990年に設立されたILSAC(International Lubricant Standardization and Approval Committee)に(社)日本自動車工業会が参画し,日米間の強調体制が構築されて現在に至っている。とりわけ,省燃費性能や排気ガス浄化システムへの適合性を高めたエンジン油規格であるILSAC GF-1~GF-4の制定に貢献している。
これに対して,2サイクルエンジン油の分野では,1970年代から80年代にかけて,日本の空冷式小型2サイクルエンジンがモペット,スクーター,芝刈り機,船外機などの用途で世界を席巻する状況となったものの,適切なエンジン油規格が存在せず,不適切なエンジン油の使用によるエンジンの損傷や,排気スモークによる環境汚染が問題となっていた。そこで,日本の二輪車メーカー,石油メーカーが中心となり,1993年に新しい2サイクルガソリン機関用潤滑油規格(JASO M 345)を制定したが,これを適切に運用し,世界的に普及促進を図るために関連業界が協力して「JASO 2サイクル油規格普及促進協議会」が設立され,1994年よりオンファイルシステムの運用が開始された。
その後,二輪自動車4サイクルガソリンエンジン油規格(JASO T 903),自動車用ディーゼル機関潤滑油規格(JASO M 355)も加わったため,名称を「JASOエンジン油規格普及促進協議会」(略称:JEOSIP)と改め,現在に至っている。協議会の構成団体を表1に,組織図を図1に示す*1。
表1 JASOエンジン油規格普及促進協議会の構成団体
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2. オンファイルシステムの概要
オンファイルシステムとは,JASOエンジン油規格に適合する潤滑油を販売しようとする者が,所定の様式にしたがって製品の物性・性能データ,オイルコード,ロゴマーク表示例,連絡先,本システムの規定にしたがうという同意書などをJEOSIPに届出し,JEOSIPがこれを受理してファイル化するという作業に由来した呼称である。届出の受理にあたってJEOSIPは,エンジン油の物性・性能データのうち,規格値が設けられている項目について規格に適合しているか,オイルコードが既存の届出油と重複していないか,ロゴマークが指定の書式に適合しているかなどをチェックし,すべての届出書類が規定に沿っていればこれを受理・ファイル化する旨を届出者に通知する。JEOSIPはファイリングしたエンジン油をホームページに掲載することで,消費者が照合確認できるようにする。また,届出者および消費者の保護を目的として,JEOSIPはオンファイルされたエンジン油を無作為に市場からサンプリングし,品質をモニタリングしている。本システムの全体像を図2に,油種ごとの届出手続きなどの相違点を比較して表2に示す。
表2 油種ごとのオンファイル手続き
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日本の「オンファイルシステム」は,米国のAPI(米国石油協会)が運用するEOLCS(Engine Oil Licensing and Certificate System)や,欧州のATIEL(欧州潤滑油協会)とATC(欧州添加剤技術委員会)が協力して運用するEELQMS(European Engine Lubricant Quality Management System)などのエンジン油品質マネージメントシステムを参考としつつも,手続きを簡素化して利用者の経済的負担の軽減を狙ったものである。日米欧のシステムの概要を比較して表3に示す。また,図3にオンファイル届出件数の推移を,表4に2008年3月末時点での届出油の規格別内訳を示すが*2,2サイクルエンジン油については,低スモークタイプのFCグレードが大半を占め,二輪4サイクルエンジン油では高摩擦係数タイプのMAグレードが圧倒的に多いことがわかる。また,ディー
ゼルエンジン油については,高硫黄軽油(500ppm)に使用されるDH-1グレードが過半数を占めるものの,排出ガス後処理装置に適合し,低硫黄軽油(15ppm)に使用されるDH-2グレードが近年大幅に増加している。
表3 米欧日のエンジン油品質マネージメントシステムの比較
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表4 オンファイル届出油のグレード別内訳
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次に,2008年3月末時点での届出油の地域別内訳を表5に示す*2。2サイクルエンジン油と二輪4サイクルエンジン油については,JASO規格が世界的に普及しているが,ディーゼルエンジン油についてはほとんどが日本での届出であり,今後海外への展開が望まれる。
表5 オンファイル届出油の地域別別内訳
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3. JASOエンジン油規格制定の経緯と今後の展望
3.1 2サイクルエンジン油
前述したように,日本は世界有数の2サイクルエンジン生産国であるにもかかわらず,2サイクル油に関する規格が存在しなかった。このため,1987年に(社)日本トライボロジー学会に「2サイクルエンジン潤滑研究会」が設立され,規格に関する勉強会が開催された。これを受けて1989年に(社)自動車技術会の二輪部会内に規格制定のための準備小委員会が設置され,1990年には「2サイクルエンジン油分科会」が設置されてエンジン試験法の開発と規格制定作業が本格的に開始された。その結果,1992年には4種類のエンジン試験法(潤滑性,清浄性,排気煙および排気系閉塞性)とオイルの物理化学的性状規格を,また1993年にはJASO品質分類規格を完成した。
この規格の世界的展開を目的として,日米欧の協力体制のもと,JASO規格のISO規格化作業が進められ,2000年に長時間の清浄性試験を追加したISO 6743-15が制定された。これに対応すべく,2003年にJASO規格の改正が行われ現在に至っている*3。
JASO 2サイクルエンジン油規格の今後の展開については,試験エンジンの一つが製造中止となる見込みのため,これに代わるエンジン試験法の開発が必要である。ただし,環境問題への対応から2サイクルエンジンを搭載した二輪車の製造が減少の傾向にあるため,あまり労力をかけない開発が望まれている。
3.2 二輪4サイクルエンジン油
二輪車用4サイクルエンジンについても,日本は世界有数の生産・輸出国であるにもかかわらず,二輪車用4サイクル油の品質規格およびその試験法が存在しなかった。4サイクル油規格としてはAPIサービス分類,ILSAC規格,ACEA規格などが存在するが,これらは四輪車用4サイクルエンジンへの適用を前提としており,エンジンとクラッチシステムおよびトランスミッションの潤滑油を共用している二輪車用4サイクルエンジンに使用した場合には,動力伝達機構などにトラブルが発生する恐れがあった。特に近年,四輪車用として強く要求されている省燃費対応4サイクル油を二輪車に用いた場合には,低摩擦性によるクラッチ滑りの発生や,低粘度化によるギヤ耐久性低下が懸念された。
このため,1994年に(社)日本自動車工業会のエンジンオイル分科会二輪車ワーキンググループにおいて,既存の4サイクル油規格の内容およびエンジン試験方法や標準油などに関する調査ならびに実機試験における4サイクル油の影響評価などを実施した。その後,1996年に(社)自動車技術会の二輪部会内に「二輪4サイクルエンジンオイル分科会」が設置され,試験法の検討と規格制定作業が行われた。1998年にはクラッチ摩擦特性評価試験法規格およびこれを用いた性能分類と,物理化学性状からなる二輪車用4サイクル油のJASO品質規格が完成した。
また,その後のILSACを中心とする4サイクルエンジン油規格の変化,すなわちさらなる省燃費化と低リン化に対応するために,性能分類の追加やEP剤含有量の規定を新たに設け,2006年に規格の改正が行われ現在に至っている*4。
JASO二輪車用4サイクル油規格の今後の展開については,2010年度までにトランスミッションギヤの耐久性(ピッチング寿命)を評価する試験方法の開発が予定されている。また,クラッチ摩擦特性評価試験法の標準油と摩擦材の供給性の確保も課題として挙げられている。
3.3 ディーゼルエンジン油
日本では,自動車用ディーゼルエンジン油の品質規格としてAPIサービス分類が一般的に用いられてきたが,日米間でエンジン設計上の違いもあり,とりわけ日本製エンジンに多用されているすべりタイプの動弁系については,摩耗防止性能がより高度に要求されるなど,APIサービス分類にはない特別な性能を付加する必要があることから,新たなオイルの品質規格設定要望があった。このため,1994年より(社)自動車技術会のエンジンオイル分科会は,(社)潤滑油協会と共同で,試験方法の開発を開始し,1998年に清浄性試験方法(JASO M 336)を,1999年には動弁系摩耗試験方法(JASO M 354)を制定した。引き続き,これらのエンジン試験とホットチューブ試験法などの他,9試験方法を用いた「DH-1」ディーゼルエンジン油規格案が(社)日本自動車工業会と石油連盟から提案されたため,その妥当性を市場油との比較検討などにより検証し,2000年に品質規格(JASO M 355:2000)を制定した。
その後,ディーゼル車の排出ガス規制の強化にともない,DPFやNOx還元触媒などの排気後処理装置を装着したエンジンが市場に導入され,ディーゼルエンジン油には従来の規格に加えて,灰分,リン,硫黄含有量などの化学組成を規定した品質規格が必要となったため,2004年に(社)日本自動車工業会と石油連盟から,ガイドラインとして,トラック・バス用に「DH-2」,乗用車用に「DL-1」が発表された。このガイドラインの妥当性を検証し,2005年に自動車用ディーゼル機関潤滑油規格(JASO M 355:2005)として,従来のDH-1に加え,DH-2とDL-1の各グレードを追加し改正した。
さらに,動弁系摩耗試験方法の改正やエンジン油の塩素量の見直しなどを含めて2008年に再改正が行われ,現在はJASO M 355:2008として運用されている*1。
JASOディーゼルエンジン油規格の今後の展開については,2009年に施行される次期排出ガス規制(ポスト新長期規制)対応エンジンにはDH-2およびDL-1が適用できると考えられているが,2012年前後に想定される次々期排出ガス規制には新たな規格の開発が必要となるものと思われる。なお,清浄性試験方法に使用されているTD25エンジンが製造中止となるため,これに替わる試験方法の探索が行われている。
また,前述したようにJASOディーゼルエンジン油のオンファイルは,二輪車用エンジン油に比べると海外からの届出が少なく,日本製ディーゼル車が多く輸出されている東南アジア市場では排出ガス規制との兼ね合いで当面はDH-1の適用が可能であることから,普及のための啓蒙活動が必要である。この点に関しては,(社)日本自動車工業会と石油連盟の合同会議体である「エンジン・オイル小委員会」のディーゼルワーキンググループの下に「DH-1情宣タスクフォース」を設置して,主要国でJASOディーゼルエンジン油セミナーを開催するなどの普及啓蒙活動を行っている。
おわりに
日本版のエンジン油品質マネージメントシステムとして「オンファイルシステム」がスタートしてから約15年が経過したが,その間,実務を担当する(社)潤滑油協会の協力を得て,現時点ではオンファイル件数合計が約1,900件となり,そのうち海外からの届出件数が約65%と,国際的にも本システムが利用されるようになってきた。
エンジン油が自動車の燃費特性,環境性能,耐久性などに及ぼす影響は大きく,今後のエンジンおよびエンジン油技術の進展に合わせて,エンジン油規格もますます高度化していくことが予想される。日本のオンファイルシステムは,欧米のシステムに比較して手続きが簡素であり,経済的負担も少ないという特長があるが,運用システムや試験検査体制につき,さらに高度化していくことが望まれる。
なお,オンファイルシステムの詳細については,JASOエンジン油規格普及促進協議会のホームページ「http://jalos.or.jp/onfile/」を参照いただければ幸いである。
<参考文献>
*1 JASOエンジン油規格普及促進協議会刊,自動車用ディーゼル機関潤滑油の運用マニュアル,(2008)
*2 (社)潤滑油協会刊,平成19年度潤滑油協会年報,(2008)
*3 JASOエンジン油規格普及促進協議会刊,2サイクルガソリン機関潤滑油性能分類の規格利用マニュアル,(2004)
*4 JASOエンジン油規格普及促進協議会刊,二輪自動車-4サイクルガソリンエンジン油の規格利用マニュアル,(2006)