「化学物質の審査及び製造等の規制に関する法律」(化審法)について,まず沿革を紹介し,今改正の背景と概要について説明する。
はじめに
化学物質は,あらゆる産業の生産プロセスや製品にとって不可欠なものであり,その化学物質の特性によって,我々の生活に必要な性能を製品等に与えている。他方で,適切に扱わないと人や環境に有害な物質として作用することもある。このため,化学物質の製造工程のみならず,使用や廃棄といったライフサイクルの各段階において化学物質管理が必要である。
我が国の化学物質管理に関する規制は,大きく分けると2つに分類できる。1つは人が身近な製品経由で摂取する化学物質の規制(用途規制),もう1つは人が環境経由で影響を受ける化学物質の規制(環境規制)である。こうした規制の下に,化学物質の安全な使用が確保されている(図1参照)。諸外国でも,同様に保護対象等に応じて複数の法規制により対応を行っているところである。
この中で,「化学物質の審査及び製造等の規制に関する法律」(以下「化審法」)は,新たに製造・輸入される「新規化学物質」について,その安全性に関する審査を経て製造・輸入を規制する等により,これらが製造・輸入された後に環境を経由して,人や動植物に対して長期的な悪影響を及ぼすことの防止を目的としている。化審法がカバーする範囲の広さからも,我が国の化学物質管理規制の1つの柱と言える。
本稿では,化審法について,まず沿革を紹介し,今改正の背景と概要について説明する。
1. 化審法の沿革
昭和40年代は公害問題が悪化していった時代であり,1970年(昭和45年)には公害国会で各種公害立法がなされた。こうした中,「カネミ油症事件」が起こり,食用油にPCB(ポリ塩化ビフェニル)が混入し,この油を通して摂取した人々に,顔面への色素沈着など肌の異常,頭痛,肝機能障害などを引き起こした。
このような毒性や難分解性,高蓄積性を有する化学物質を規制する必要があったため,1973年に化審法は制定された。また,二度とこのような被害を起こさないために,新規化学物質の審査制度も導入された。
1回目の改正は,トリクロロエチレン,テトラクロロエチレン等の人体への蓄積性はさほど有しないものの大量に環境中に排出されることによる汚染が顕在化したため,このような化学物質に対する規制として第二種特定化学物質を創設した。また,我が国での化審法制定後,先進国で同様の法律が次々に制定されていったが,不整合な点もあったことから,国際的な整合性の観点から所要の改正を実施した。
2回目の改正は,2003年である。人体への影響のみを規制対象としていたが,生態系への影響についても規制する必要があることが認識され,第三種監視化学物質の創設などが実施された。
以上が今般の改正に至るまでの化審法の変遷である。
2. 化審法改正の背景
2003年の化審法改正以降も,化学物質の管理を取り巻く国内外の状況は変化を続けてきた。大きくは,2つの国際的な動向が背景となっている。
1つは,2002年に開催された持続可能な開発に関する世界首脳会議(WSSD:World Summit on Sustainable Development)において採択されたヨハネスブルグ実施計画である。WSSDにおいて,「化学物質の生産・使用が人健康及び環境にもたらす著しい悪影響を,リスク評価の手続き,リスク管理の手続きを使って,2020年までに最小化することを目指す」こととして合意されている。2006年には,WSSD合意に向けた具体的な行動を進めるべく,国際化学物質管理会議において,国際的な化学物質管理のための戦略的アプローチ(SAICM:Strategic Approach to International Chemicals Management)が策定されている。この流れにおいて,各国は化学物質管理制度をハザードベースからリスクベースへ転換することが求められたのである。欧州においては,2007年6月に新化学品規制REACHが施行され,既存及び新規化学物質の区別なく,すべての化学物質の製造・輸入事業者に登録の義務が課せられるとともに,自動車,電子・電気機器等の成型品中の化学物質についても届出等の義務が課せられことになった。さらに,リスク評価の主体が事業者に移されるとともに,発がん性物質等については使用等にあたり認可が必要となった。これにより,欧州はWSSDの2020年目標の達成を目指すこととしている。また,米国においては,基本的にすべての上市された化学物質のリスク評価を実現するべく,有害物質規制法TSCAによる規制とともに,高生産量(HPV)の化学物質の安全性情報を企業の協力のもと収集する「USチャレンジプログラム」を実施している。さらに,カナダ・メキシコとの規制協力等の共同枠組みにより2020年の目標を達成する方針である。
もう1つは,残留性有機汚染物質に関するストックホルム条約(以下「POPs条約」)が,我が国にも具体的な影響を与えるものとしてあげられる。
POPs条約は,残留性有機汚染物質(POPs:Persistent Organic Pollutants)から人の健康および環境を保護するため,毒性,難分解性,生態濃縮性及び長距離移動性の性質を持つ化学物質の製造,使用,輸出の禁止,制限等を実施するものである。条約に基づき具体的な措置が求められる物質としてPCBやDDTといった12物質が指定されていたところであり,我が国では非意図的生成を除き化審法第一種特定化学物質に指定し,製造・輸入を規制することで担保されている。POPs条約においては,一部の対象物質については,直ちに他の物質に代替することが困難である場合,人への暴露及び環境への放出を最小限にすることを条件に,使用が許容される仕組み,いわゆる「エッセンシャルユース」がある。規制対象物質追加の動きが活発化しており,残留性有機汚染物質検討委員会において検討が進められ,PFOS等の物質の追加が化審法改正前に見込まれていた。そのうち,特にPFOSについては,半導体産業において使われており,代替することが困難と考えられていた。化審法における第一種特定化学物質の使用として認められる用途は,法制定時以来,閉鎖系のものに限定されており,実質的に使用は認められないという状況であった。そこで,規制の国際的な整合性を図る必要性があった(図2参照)。
図2 化審法改正の背景
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3. 化審法の改正
以上のような環境変化に対応すべく,我が国においても,これまで化学物質管理政策及び化審法等の制度見直しの検討が進められた。
2008年1月から,厚生科学審議会,産業構造審議会及び中央環境審議会に設置された化審法見直し合同委員会において,化審法の見直しに関する具体的な検討を行い,同12月に報告書がとりまとめられた。
報告書では,(1)上市後のすべての化学物質を対象として,リスク評価を優先的に行うべき物質を絞り込み,それらについてのハザード情報等を段階的に収集し,リスク評価を実施する体系を官民の連携の下に構築すること,(2)新規化学物質の上市前審査の際,現行制度で行われているハザード評価に加え,リスクの観点を踏まえた評価を行うこと,(3)第一種特定化学物質,第一種監視化学物質及び第二種特定化学物質については,国際的な動向も踏まえつつ,厳格な管理措置の継続及び適切なリスクの低減を講じること,等が盛り込まれた報告書が取りまとめられている。
この報告書を受け,改正法案の具体的な立法化の作業が進められ,本年2月24日に「化学物質の審査及び製造等の規制に関する法律の一部を改正する法律案」(化審法改正法案)が閣議決定され,第171回通常国会における審議を経て,本年5月13日に成立,5月20日に公布された。
改正化審法は,包括的な化学物質管理を実施するため,化学物質の安全性評価に係る措置及びその対象となる化学物質の範囲を見直すとともに,国際的動向を踏まえた規制合理化のための措置等を定めている。具体的には次のとおりである。
第一に,包括的な化学物質の管理を行うため,審査や規制の体系が抜本的に見直された。具体的には,化審法制定(1973年)以前から存在していた既存化学物質を含む「一般化学物質」について,一定数量以上の製造・輸入を行った事業者に届出義務を課すこととされた。国は,届出によって把握した製造・輸入数量等及び有害性に関する既存の知見等を踏まえ,リスク評価を優先的に行う物質を「優先評価化学物質」として絞り込み,有害性について,国が保有する情報と事業者から提出された情報を用いて評価するとともに,必要に応じて,有害性に関する試験の実施等を事業者に求めることができるとされた。
こうした見直しにより,化学物質のリスク評価を着実に実施し,その結果に応じて,迅速に製造・使用規制等の対象とすることが可能となる。一方で,これまで化学物質の有害性のみに着目して指定をしていた「第二種監視化学物質」及び「第三種監視化学物質」の分類は,「優先評価化学物質」が創設されたことから廃止され,これに伴い「第一種監視化学物質」の名称は「監視化学物質」に改められた。また,環境中に残存することに着目した化学物質の管理を行う観点から,難分解性の性状を有さない(良分解の)化学物質についても新たに規制の対象とした。さらに,流通過程にある化学物質に関する管理を強化するため,川下の事業者に対して化学物質の名称等の情報を提供するよう努めなければならない,とされた。
第二に,国際条約と整合性が確保できるよう規制が見直された。我が国が締約国となっている「残留性有機汚染物質に関するストックホルム条約」によって新たに製造・使用が禁止される化学物質の中には,前述のように例外的に一定の用途での使用が認められる見込みのものがあった。よって,同条約の実施を担う改正化審法の枠組みにおいても,他の化学物質によって代替できず,人の健康等にかかる被害を生じるおそれがない用途(具体的には政令で規定)に限り,別途定める取り扱い上の技術基準を厳守する等の厳格な管理の下で,当該化学物質を使用できることとされた。
なお,今回の改正により規制対象をすべての化学物質とすることはもちろんだが,そのために良分解性物質にも拡大したことは化審法上,大きな転換である。これまで難分解性の性状を有する物質を規制対象の前提としてきた。これは,難分解性物質については環境に残留して環境汚染を引き起こす蓋然性が高く,これを厳しく管理すれば化学物質による深刻な環境汚染は未然防止できるとの考えを反映したものであり,一定の合理性があった。しかしながら,良分解性物質であっても分解量に比して環境への排出量が極めて大きい場合には,排出速度が分解速度を上回るため環境汚染を引き起こす可能性を否定できず,すべての化学物質によるリスクを評価する観点から,良分解性物質を含むすべての化学物質についてリスクの概念で評価・管理していくこととした。もちろん,難分解性の有害化学物質をハザードベースで規制することは依然として重要であり,改正化審法においても,難分解性,高蓄積性,長期毒性を併せ持つ物質は依然として第一種特定化学物質に指定され,製造・輸入が厳しく制限されるとともに,新規化学物質の上市前審査において,化学物質が難分解の性状を有するか否か等の確認は継続されることとなる。その上で,今後は良分解性物質も含めて分解性の程度を考慮したリスク評価を行い,リスクがあると判断された場合には分解性の有無を問わず第二種特定化学物質に指定され,それぞれの性状等に応じた管理が行われることとなった。ただし,すべての化学物質について一律にハザード情報を収集することは効率性・迅速性にかけるため,段階的にリスク評価を詳細に実施することにより,包括的かつ効率的なリスク管理を行うこととした。具体的なリスク評価の仕組みについては,現在,独立行政法人製品評価技術基盤機構等で検討が行われている。
おわりに
改正化審法は,2010年4月1日,2011年4月1日の2段階で施行される。
第1段階目では,規制対象が良分解性物質に拡大される。このため,今年度内に良分解性の第二種監視化学物質,第三種監視化学物質を指定する。また,第一種特定化学物質に関する措置が施行される。具体的には,PFOS等の12物質が追加指定されるとともに,政令で認められた半導体関連等の用途についてはPFOSの使用が可能となる。また,PFOSを含むメッキの表面処理剤の添加剤等の製品は輸入禁止となるとともに,政令で指定した製品については,一定の猶予期間の後,取り扱い上の基準に適合する等の義務が生じる。
第2段階目では,一般化学物質と優先評価化学物質が新設される。また,併せて第二種監視化学物質と第三種監視化学物質は廃止される。一般化学物質と優先評価化学物質については,2010年度の製造・輸入数量の届出が開始される。
化学物質の安全性確保については,これまで述べてきた化審法に限らず,他の化学物質関係制度も含め,網羅的に管理を進めることによりWSSDの目標を達成することが求められている。そのためには,制度の形式に係る議論だけではなく,各制度を効率的・効果的に運用し,それぞれの関係者が具体的に取り組むべき内容をよく認識し,実践することが重要である。