合成潤滑油―その素性と可能性 | ジュンツウネット21

合成潤滑油の定義,実用化の背景,米国における合成潤滑油に対する関心などについて解説する。

岩手大学 南 一郎  2005/8

1. 合成潤滑油の背景―鉱油との差別化

19世紀後半に興った石油産業は人類が容易に使えるエネルギーを飛躍的に増大させ,それに伴って効率化技術の重要性が認識されるようになった。その一環として潤滑油の必要性も着目されるようになった。この点で石油とは大変都合のよい資源である。低沸点留分はガソリンなどのエネルギー,あるいはナフサなど合成原料として利用される。高沸点留分は精製して潤滑油として使われる。残渣分は道路の舗装に使われ,これも効率化技術に貢献するので,ひとつの資源を多種多様の用途に展開した先賢の英知に感嘆する。

しかし一方で石油に含まれる成分の多様性は欠点となる場合もある。ある機能に対して悪影響を及ぼす物質は極力除去しなければならない。例えば原油に含まれる硫黄化合物は添加剤の効果を阻害することがあり,ワックスは潤滑油の低温流動性を低下させる。これらの好ましくない成分は製造過程で除去される。精製度を上げるとそれだけ経費がかさむので,それならば夾雑物を含まない原料から合成するほうが経済的である。これがポリアルファオレフィンに代表される合成炭化水素油の由来である。

炭素鎖の分岐や環構造などの分子構造と機能の相関がわかってくると有効成分を抽出して製品の付加価値を高めようとする。ここでも抽出にかかるコストがかさむならば合成したほうが経済的な場合がある。さらに進んで天然資源に含まれる成分よりも優れた物質が必要な場合は合成に頼るほかはない。例えば,ジェットエンジン油には極めて高い安定性が要求されるのでこれに合致した合成エステルが使用されている。

このように合成潤滑油には「(鉱油に含まれる)夾雑物を除去したもの」と「積極的に分子構造を構築したもの」がある。前者による合成潤滑油は基本的に鉱油の代替品である。したがって既存の需要に応じた汎用性油となりうる。後者による合成潤滑油は,いわば特殊用途油なので高付加価値製品として位置づけられる。潤滑油の需要は適応する機器の市場展開に左右される。

2. 合成潤滑油の定義

「合成」とは化学反応を利用して人工的に物質を作ることをいう。これを広義にとらえると鉱油を化学的に精製した物質も含まれる。実際に一時期はGroup IIIの鉱油を“Synthetics”と称したらしい*1,2。ここでは混乱を避けるために,「合成化合物とは分子設計が可能である物質」と定義する。すなわち,目的の機能や物性を持つ化合物を得るために,化学者が原料や反応条件を吟味して調製した物質であることが肝要となる。

合成潤滑油はその元素組成によって「炭化水素」と「その他」に分類することが多いようである*3。前者は炭素と水素のみを含むもので,多くの物性は鉱油に近い。後者は炭素と水素に加えて酸素,フッ素,シリコン,リンなどを含むもので,大半は「積極的に分子構造を構築したもの」に属する。

3. 合成潤滑油実用化の背景

米国トライボロジー学会会員誌に掲載された「トライボロジー史上の十大発見」*4に合成潤滑油が挙げられている。その記事によると,触媒存在下で一酸化炭素と水素から高級パラフィンを合成する,フィッシャー-トロプシュ法の発見が合成潤滑油開発の契機であるという。その直後に合成炭化水素油の商業化が試みられたものの需要が少なく失敗に終わった*3。それ以来多くの「合成液体」が潤滑油として評価され,鉱油と比べると優れた性能を示すものの高価であるとの見解が定着したようである。そのために当初は軍需用など特殊な用途に限って合成潤滑油が適応されてきた。

商業化の実績から合成潤滑油の歴史をみると,表1にあげたように60年以上の実績がある。1970年頃にはエンジン油として実用化され,これを契機として汎用油としての用途が開けた。今世紀にはいると合成潤滑油のコストパフォーマンスに対する認識が定着し,先進市場である西欧では潤滑油需要のうち約30%を合成潤滑油が占めるようになった*1。最近では機械の高性能化や効率化,さらには環境保全の観点から合成潤滑油の適応がなおいっそう注目されている。

表1 合成潤滑油の歴史
事項
1859 商業油井の開業
1923 フィッシャー-トロプシュ合成の発見
1929 合成炭化水素油の商業化試み
1943 シリコーン油の商業化
1945 ポリエーテルの商業化
1951 ジエステルの商業化
1953 リン酸エステルの商業化
1963 ポリオールエステルの商業化
1969 合成油を含むエンジン油の商業化
1977 フル合成油エンジン油の商業化

 文献*1,*3,*4の記述を整理して作表

4. 合成潤滑油に対する添加剤

ほとんどの潤滑剤には実用性能を満たすために添加剤が必要不可欠である。合成潤滑油の使用に当たって基油と添加剤の適合性が問題となる場合が多い。「夾雑物を除去した」合成炭化水素は既存の添加剤を溶解しにくいことがある。一方で「積極的に分子構造を構築した」合成潤滑油に対して既存の添加剤がほとんど効果を示さないか,あるいは逆効果を示すこともある。例えば鉱油に対してよい耐摩耗剤となるリン酸エステルやスルフィドが合成エステルに対して期待するほどの効果を示さないか,あるいは摩耗を促進することがある。そこで合成潤滑油と添加剤の分子構造に基づいた解明が必要となる。

5. 米国における合成潤滑油に対する関心

米国トライボロジー学会会員誌に掲載された読者アンケートを整理した。「潤沢な研究費を得たらどんなプロジェクトに取り組みたいか」なる問いに対して合成潤滑油に対する高い関心が寄せられた(図1)*5。ここで筆者の意見を述べると「環境調和型潤滑油」の有力候補は植物油脂である。なかでも遺伝子組み換え技術を応用して潤滑油としてふさわしい物性の植物油を生産する技術が期待されている。これも広義の「合成法」に含めるならば,合成潤滑油に対する高い関心がうかがえる。なお,植物油はエステルであるからその物性は合成エステル油との類似点が多い。

潤沢な研究費を得たらどんなプロジェクトに取り組みたいか

図1 潤沢な研究費を得たらどんなプロジェクトに取り組みたいか

「エネルギー効率を向上するために最も有効な方法は何か」なる問いに対して合成潤滑油が最大の注目を得た(図2)*6。その目的の用途としてエンジン油とギア油の回答が多い。いうまでもなくこれらは潤滑油の主要な用途である。したがって汎用油としての合成潤滑油に対する高い関心がうかがえる。

エネルギー効率を向上するために最も有効な方法は何か

図2 エネルギー効率を向上するために最も有効な方法は何か

さて,トライボロジーでは関心や推察だけでなく実績が大切である。「問題解決に役立った合成潤滑油は何か」なる問いに対する回答を図3にまとめた*7。炭化水素油が際だって多いのは,おそらく鉱油との類似点が多いので代替として使用しやすいためであろう。特に添加剤の適合性が合成炭化水素の利用につながっていると推察する。炭化水素油による成功例のうち90%以上がポリアルファオレフィンである。用途別の問題解決ではエンジン油とギア油が圧倒的に多かった。このように合成潤滑油は良いことずくめのようであるが,回答者の27%が「コスト以外にも合成潤滑油には問題点がある」ことを指摘している。具体的にはシールとの適合性,漏れ,添加剤の溶解性,管理方法が鉱油と異なる点などである。

問題解決に役立った合成潤滑油は何か

図3 問題解決に役立った合成潤滑油は何か

6. 期待される新しい合成潤滑油

上述のアンケート結果を見ると同誌読者の関心は汎用油のようである。もちろんこれは産業界にとっての関心事であると理解する。一方で筆者ら大学人は設計思想に心を引かれることが多い。その一例として最近注目を集めているイオン液体を紹介する。

一般に潤滑油の粘度が高ければ摩擦面間に油膜を形成して流体潤滑を実現する。ところがこの粘度が必要以上に高いと粘性抵抗が原因で摩擦係数が高くなる。よって潤滑油の粘度は,油膜を形成するレベルでなるべく小さいほうがいい。ところが一般に粘度を下げることは分子量を小さくすることであり,同時に蒸気圧が上がる。すなわち揮発しやすくなるので,潤滑油のように発熱を伴う条件下で使用するには不適切である。この粘度と蒸気圧の相反する性質を解決した物質のひとつがイオン液体である。その一例を図4に示した。基本的には酸と塩基からなる塩であり,必ず有機イオンを含むので無機塩とは異なった性質を示す*8。ここで有機化合物であることは無限の可能性を示唆しており,化学者にとって興味が尽きない対象である。

イオン液体の例

図4 イオン液体の例

イオン液体のトライボロジー特性は基礎的知見が得られるようになったばかりであるが,粘度が低い割にはよい境界潤滑性を示すものがある。その機構としてイオン液体の部分構造がトライボ化学反応を起こして摩擦面の改質に寄与していることが表面分析の結果から明らかにされている *9。すなわち基油の分子内に特定機能を持つ部分構造を組み込む可能性を示しており,このメカニズムを積極的に利用した合成油の開発もまた興味深い。

おわりに

機械類の小型化や精密化は同時に潤滑の高性能化に対する要求を伴う。すなわち,分子設計が可能である合成潤滑油の出番となる。最近の表面分析技術の進歩を享受すれば,表面改質やコーティングを含めた新たなトライボマテリアルに対するいわゆるテーラーメード潤滑油の分子設計につながる。この点については機会があれば稿を改めたい。

汎用油に求められることは低価格化と環境適合性である。後者はエネルギー効率の向上と長寿命化および夾雑物含有量の低下によって実現する。

合成潤滑油は,特殊用途であれ汎用であれ鉱油よりも高付加価値製品であることに違いはない。品質管理と生産技術を得意とする日本の工業界は合成潤滑油の適応で技術的に世界をリードする潜在力を持つと筆者は信じている。

なお,文献(3)は合成潤滑油全般に関する成書として筆者は頻繁に参照する。この分野の専門誌としてその名もズバリ“Journal of Synthetic Lubrication” ISSN 0265-6582,Leaf Coppin Publishing Ltd.が学術・技術情報に詳しい。同誌には基礎から応用に至るまで守備範囲の広い内容が掲載されている。個々の合成油の特性や適応例などはこれら文献を参照されたい。

 

<参考文献>
*1 R.D.Whitby: "Synthetic lubricants reach new heights"Tribology & Lubrication Technology September 2004 64 (2004).
*2 M.Gresham: "There's something synthetics about synthetics"Tribology & Lubrication Technology May 2005 16-17 (2005).
*3 L.R.Rudnick,R.L.Shubkin(editors): "Synthetic Lubricants and High-Performance Functional Fluids",Marcel Dekker, 1999.
*4 K.Carnes: "The Ten Greatest Events in Tribology History" Tribology & Lubrication Technology June 2005 38-47 (2005).
*5 Tribology & Lubrication Technology January 2005 58-59 (2005).
*6 Tribology & Lubrication Technology September 2004 58-59 (2004).
*7 Tribology & Lubrication Technology March 2004 58-59 (2004).
*8 「機能材料」24巻11号 (2004).
*9 上村秀人,南一郎,森誠之:「新規潤滑油としてのイオン液体」トライボロジスト,50巻3号208-213 (2005).

 

合成潤滑油

最終更新日:2017年11月10日