最近の固体潤滑の現状と今後の展望 | ジュンツウネット21

本稿では,ごく最近の固体潤滑の現状をここ1年間に限っての日本トライボロジー学会における研究動向を中心に概述する。

首都大学東京 広中 清一郎  2008/4

はじめに

最近の数年間の固体潤滑(剤)の動向については文献*1-3を参考にしていただくとして,本稿では,日本トライボロジー学会のここ1年間の活動状況を中心に概説することにしたい。

はじめに,最近の研究発表の動向について触れる。昨年に開催されたトライボロジー会議,2007年5月の東京大会と9月の佐賀大会の総発表件数はそれぞれ174件と265件で,そのうち固体潤滑(剤)に関連すると思われる発表はそれぞれ53件(30.5%)と50件(18.9%)であった。総計では439件中103件が固体潤滑に関するものであるから,23.5%すなわち4件に約1件が何らかの固体潤滑に関係する基礎研究または応用開発研究がなされていることになり,トライボロジーにおける固体潤滑の重要性がうかがえる。また,大きな傾向がひとつある。固体潤滑の研究発表のうち,何と45.6%がDLC膜に関係するもので,現在日本のトライボロジー界でいかにDLC膜が注目されているかが分かる。

その他では,MoS2被膜に関する研究もかなりあり,セラミックコーティングおよびCNx膜を含めて,これらコーティングによるトライボ表面改質が固体潤滑の主役と言える。一方,固体潤滑剤を含有するトライボ高分子複合材料の研究なども目につき,潤滑剤を施さなくて済む自己潤滑性材料の開発も要求度が高いことが示される。

約5年ぶりに「固体潤滑シンポジウム2007」が東京,代々木で2007年7月に開催された。基調講演が6件,一般講演として「低摩擦と長寿命化」と「新しい固体潤滑材料」について計9件,応用技術の講演としては「新しい固体潤滑のニーズに応えて」と称して14件の講演があった。

本稿では,誌面の関係で,前述の記事のうち主なものと,ここ1年間の「トライボロジスト」(日本トライボロジー学会誌)に掲載された固体潤滑に関する論文内容,および他学会でのトライボロジー関係の著者らの論文,研究発表をいくつか含めて概述する。詳細はそれぞれの要旨集およびトライボロジストなどを参照していただきたい。

1. 最近の国際技術展・会議から

ごく最近のトピックとしては,東京ビックサイトで2008年2月13日~15日に開催された「nano tech2008」(国際ナノテクノロジー総合展・技術会議)である。ナノテクノロジーの先端技術から最新製品に至るまでの展示およびこれらに関する講演・会議があり,トライボロジーに関連する技術や展示物も少なくはなかった。例えば,この「nano tech 2008」に含まれる「第3回ASTEC 2008(国際先端表面技術展・会議)」での,山本 祥三 氏(日産自動車(株))による自動車の「対擦り性向上塗装(スクラッチシールド)の開発」や,加納 眞 氏(神奈川県産業技術センター)による「摺動部品へのDLCコーティング適用技術」は大変興味深い講演であった。

表1*4に示すように,自動車関連の摺動部品へのDLCコーティングの適用技術はかなり進歩し,DLCの成膜方法,原料,膜質などによってDLCの特性は異なり,これに伴う適用個所があることを指摘している。例えば,黒鉛を原料としてPVD(Physical Vapor Depo-sition)法によって成膜したta-C(tetrahedral amorphous carbon)は,低摩擦と耐摩耗性から,ガソリンエンジン用ピストンリングやピストンピンなどに適用されている。また最近の研究では,DLCの多用性から油および水潤滑によるDLCの摩擦摩耗特性の向上があるが,このための潤滑添加剤は,環境にやさしいエコ・トライボロジーが不可欠としている。

表1 自動車関連部品へのDLC適用技術
適用部品
DLCコーティング
DLC特性
2輪車エンジン用ピストンリング
CVD 
a-C:H
シリンダアルミ材料との高い耐スカッフィング摩耗特性
SUV車両用ディファレンシャルギヤー
CVD
a-C:H
高い耐ピッチング摩耗,耐スコーリング摩耗特性
SUV 4WD車両用トルク制御カップリングクラッチ
CVD
a-C:H-Si 
高い摩擦係数,優れたμ-V特性,耐摩耗性
ディーゼル燃料ポンプ(プランジャ,ワッシャ,ブッシュ,ニードル)
CVD
a-C:H
ディーゼル燃料潤滑下での高い耐スカッフィング摩耗特性
F1エンジン,駆動系摺動部位カムシャフト,ピストン,リング,ピン,バルブ,ギヤー
CVD
a-C:H
低フリクション特性と耐摩耗性
自動車ガソリンエンジン用バルブリフタ,ピストンリング,ピストンピン
PVD
ta-C
低フリクション特性と耐摩耗性

 a-C:H hydrogenated amorphous carbon
 ta-C tetrahedral amorphous carbon

その他,ASTEC2008の展示会場で目に付いたものでは,ナノカーボンの利用,例えば,CNT(Carbon nano tube)/樹脂複合材やCNT高機能複合材の開発,VGCF(Vapor grown carbon fiber,気相法炭素繊維)複合銀メッキ技術,CNTの表面処理や分散技術などがあり,直接固体潤滑を目的にした技術ではないものの,トライボロジー分野への応用が大いに期待される。

一方,2007年9月5~7日の3日間行われた「Surtech 2007」(幕張メッセ)においては,自動車産業へのDLCコーティングの適用に関する講演が6件,「環境にやさしいセラミックスコーティングの自動車用途への適用」などの講演があり,自動車の摺動部品のトライボコーティングの研究開発が盛んに行われているようである。また,2008年9月10~12日に開催される「Surtech 2008」(幕張メッセ)でも,トライボロジー適用へのヒントとなる先端表面コーティング技術や固体潤滑の参考となる先端材料の開発発表が期待される。

2. DLCコーティング

最近の固体潤滑の動向として,前述のように非常に多い研究・開発はDLCコーティングに関するものである。その中でも特に多い研究項目は,DLC膜のより広範な利用と対環境負荷(すなわち,エコ・トライボロジー)の観点から水環境下におけるトライボロジー特性についての検討であり,よりよいDLC膜のトライボロジー特性を引き出すためにいろいろな角度から基礎研究がなされている。本稿では,誌面の関係で,これらの研究動向について概述するに留める。

水潤滑の基礎として,DLC膜の摩擦摩耗特性*5や耐剥離性*6への湿度依存性があり,中でも「中性子反射率法による水中で親水性DLC膜表面上に形成される水層に関する研究*7」は非常に興味深い。その他に,「水環境下のDLC膜のトライボロジー特性の基礎・応用研究*8-16」があり,例えば,応用への基礎研究例としてはDLC保護膜によるマグネシウム合金の耐食性向上を目的とした食塩水中の摩擦特性*10や,水圧機器などへの応用に向けた水道水中のDLC膜のトライボロジー特性の検討がある。

水潤滑環境下でDLC膜をより有効(低摩擦と長寿命)に利用するためには,水溶性潤滑添加剤は不可欠であり,エコ・トライボロジーからは対環境型の添加剤が重要となる。

US309Sに対するDLC膜の摩擦係数と膜破断までのすべり距離

図1 SUS309Sに対するDLC膜の摩擦係数と膜破断までのすべり距離

図1には,SUS390S鋼に対するDLC膜の摩擦係数と膜破断までのすべり距離を示す*9。TMPはトリメチロールプロパンで,水には3mass%添加してある。TMPは油成分として医薬品や化粧品に使用される生体親和性物質である。DLC膜は,水潤滑で空気中より長寿命化され,さらにTMP添加によりさらに長寿命化されている。その他,ネオペンチルグリコール添加によっても同様な効果が得られている。

3. その他の表面膜

固体潤滑の主力は,いろいろな表面コーティング法の開発・進展と,これらにより比較的簡単にトライボ表面改質ができることによる,DLC膜をはじめとする潤滑表面膜の研究である。ここでは,DLC膜以外に,ごく最近の参考文献を挙げておく。MoS2被膜*17-23に関する研究が多数あり,中でも西村ら*20の「MoS2スパッタ膜の大気中加熱処理による長寿命化」や,宮本ら*22の「MoS2膜の超低摩擦の発現機構の理論解析」などは非常に興味が持たれる。その他には,「TiN*24-26およびTiN複合被膜*27のセラミックコーティング」,「CNx膜*28-30」,「CVDダイヤモンド被膜*31-33」などがある。

4. カーボン系複合材

4.1 ナノカーボン系

近年,種々のナノカーボンが合成されるようになり,それらの固体潤滑剤としての有無についていろいろと検討されている。ナノカーボンのトライボロジー的研究の動向のひとつに,ナノカーボンを添加した複合材料がある。

最近の研究事例をいくつか紹介する。「VGCF-CNTとPA12(ナイロン12)およびPP(ポリプロピレン)との複合材*34」,「長・短繊維CNTを添加したPOM系複合材*34,36」などがあり,その他に金属系では「CNT/銅複合材の通電下における摩擦特性*37,38」の研究がある。

図2*35は,POMの比摩耗量への短繊維型CNT(ST-CNT)の添加(3,5および7mass%)効果を示す。この添加範囲ではCNTは低荷重で効果を発揮するが,より高荷重になり,添加量が増えるほど摩耗は増大する。これは,摩擦表面から脱落するCNTのアブレシブ作用によるものらしい。またCNTは綿状にかなり絡まっているので均一分散が難しく,これらの集合体は硬い大きな粒子として挙動することも推察される。そのために長繊維型CNT(LT-CNT)ではあまり効果は得られず,むしろ摩擦摩耗は増長する傾向にある。

一方,長短CNT添加による物性の顕著な相違は見られないが(表2),図3に示すように,スラスト試験による耐荷重能の検討でも*36,ST-CNT添加しか効果は得られていない。

CNT/POM複合材料の荷重-速度曲線

図2 CNT/POM複合材料の荷重-速度曲線

表2 CNT/POM複合材料の物性
Plate
CNT[wt%]
Density[g/cm3
Surface Roughness, Ra[μm]
Vickers Hardness, HV
POM
1.382
0.210
20
LT-3
3
1.394
0.228
22
ST-3
3
1.409
0.315
21

ST-CNT/POM複合材料の比摩耗量への荷重依存性

図3 ST-CNT/POM複合材料の比摩耗量への荷重依存性

このように,CNTの高分子複合材化への適用では,母材への均一分散や適量添加が重要と考えられる。

4.2 その他の炭素系

炭素系複合材では,高分子の自己潤滑性の向上のためのグラファイト添加や,機械的強度を高めるための炭素繊維の充填がある。例えば,母材をPEEK(ポリエーテルエーテルケトン)とした炭素繊維/PEEK系*39やPTFE/炭素繊維/PEEK系*40,フェノール樹脂の強化を計った炭素繊維/フェノール樹脂系*41,またPTFEをベースとしたカーボンブラック/PTFE系*42やグラファイト/PTFE系*43などがある。

おわりに

本稿では,ごく最近の固体潤滑の現状をここ1年間に限っての日本トライボロジー学会における研究動向を中心に概述した。固体潤滑のひとつの大きな流れとして,DLC膜をはじめとしたトライボ表面改質がある。特にDLC膜についての基礎および応用研究は非常に多く,今後ますますの発展が期待される。また,従来型のMoS2系潤滑被膜や自己潤滑性材料を目指した固体潤滑剤との複合材料の研究も相変わらず多く,これらの発展も望まれる。しかし,これらに対する今後の課題がないわけではない。応用面からのマクロ的なトライボロジー特性のメカニズムの説明がある程度できたとしても,さらなる固体潤滑の発展への寄与は限度がある。

例えば,DLC膜の摩擦摩耗のメカニズムはいまだ明確な解明がなされた訳ではなく,メカニズムの解明に原子・分子レベルのミクロ的な理論解析を含めてなされなければならない。その結果,固体潤滑がマイクロマシンなどの超小型機器用の固体潤滑被膜または摺動部材として,適用がより可能となり,ナノテク技術へのトライボロジーの寄与が増大する。

もうひとつ課題がある。固体潤滑材(潤滑被膜,複合材)をさらに有効に実用するための水潤滑を含めたエコ・トライボロジーである。これは固体潤滑に限らず,地球環境を無視した産業技術の発展はあり得ない。今後,トライボロジーにおいて固体潤滑が先頭を切ってエコ・トライボロジーに取り組んでいく姿勢を持つべきであると考える。

 

<参考文献>
*1 広中 清一郎:潤滑経済,No.446, 11-15( 2003)
*2 広中 清一郎:潤滑経済,No.470, 2-6(2005)
*3 広中 清一郎:潤滑経済,No.496, 2-6(2007)
*4 加納 眞:ASTEC2008(第3回国際先端表面技術展・会議),講演資料, 2008.2.13
*5 三浦 健一,出水 敬,中村 守正,石神 逸男:トライボロジスト, 52(6), 424-433( 2007)
*6 基 昭夫,吉川 光英,春名 靖志,清水 敬介,野村 博郎:トライボロジー会議, 佐賀,405-406( 2007-9)
*7 宇野 共生,平山 朋子,松岡 敬,井上 和子,海老澤 徹,田崎 誠司,日野 正裕:トライボロジー会議, 東京,327-328( 2007-5)
*8 七澤 透,岩井 邦昭,広中 清一郎:同上,69-70(2007-5)
*9 福原 敬介,岩井 邦昭,広中 清一郎:同上, 71-72(2007-5)
*10 崔 峻豪,中尾 節男,池山 雅美:同上, 177-178( 2007-5)
*11 内舘 道正,岩淵 明,菅野 聖人,劉 海波:トライボロジー会議,佐賀,399-400(2007-9)
*12 岩井 邦昭,大内 直哉,保富 彬人,広中 清一郎:同上,401-402( 2007-9)
*13 田中 章浩,大花 継頼,呉 行陽,鈴木 雅裕,中村 拳子:同上,435-436( 2007-9)
*14 呉 行陽,大花 継頼,中村 拳子,田中 章浩:同上,437-438( 2007-9)
*15 内舘 道正,岩淵 明,劉 海波:同上,439-440( 2007-9)
*16 相山 雄亮,所 舞子,鈴木 章仁,益子 正文,同上,441-442( 2007-9)
*17 小熊 清典,池田 満昭,松田 健次,兼田 瀅昱:トライボロジスト, 52(1),75-81(2007)
*18 小熊 清典,池田 満昭,砂原 賢次,松田 健次,兼田瀅昱,トライボロジスト,52(1),90-94( 2007)
*19 相良 和仁,西村 允,トライボロジスト:52(2),148-155( 2007)
*20 相良 和仁,岡本 拓三,及川 俊一,鈴木 峰男,西村 允:トライボロジー会議,東京,65-66 (2007-5)
*21 中村 誠,松井 元英,久保 俊一:同上, 67-68(2007-5)
*22 森田 祐輔,宮本 明,他11 名,同上,73-74 (2007-5)
*23 松本 康司,鈴木 峰男,青木 由雄,川邑 正広:トライボロジー会議,佐賀,195-196(2007-9)
*24 丹野 康雄,山本 匡,小豆島 明:トライボロジー会議,東京,187-188(2007-5)
*25 石井 淳哉,春山 義夫,河村 新吾,岩井 義郎,堀川 教世:同上,189-190(2007-5)
*26 阿保 政義,吉村 英樹,格内 敏,比嘉 昌:トライボロジー会議,佐賀,83-84(2007-9)
*27 矢谷 秀彰,山本 俊介,木之下 博,大前 伸夫:同上,419-420(2007-9)
*28 王 懐鵬,野老山 貴行,梅原 徳次,不破 良雄:同上,199-200(2007-9)
*29 野老山 貴行,神田 伸吾,梅原 徳次,不破 良雄:同上,201-202(2007-9)
*30 松本 謙太郎,後藤 実,野老山 貴行,碇 智徳:同上,203-204(2007-9)
*31 杉山 憲一,長坂 浩志:同上,403-404(2007-9)
*32 清水 敬介,春名 靖志,基 昭夫,神田 一隆,高野 茂人:同上,413-414(2007-9)
*33 基 昭夫,後藤 賢一,神田 一隆,高野 茂人:トライボロジスト,52(2),165-168(2007)
*34 川久保 洋一,東松 将也,原口 賢一:トライボロジー会議,東京,45-46(2007-5)
*35 田中 翔,岩井 邦昭,広中 清一郎:トライボロジー会議,東京,33-34( 2006-5)
*36 金子 達哉,岩井 邦昭,広中 清一郎:材料技術研究協会討論会要旨集, 121-122( 2007-11)
*37 岩井 邦昭, 広中 清一郎:信学技報, EMD 2 007-65,55-60( 2007-10)
*38 新井 啓介,岩井 邦昭,広中 清一郎:材料技術研究協会討論会要旨集,119-120 (2007-11)
*39 赤垣 友治,中村 健,橋本 淑希,川畑 雅彦:トライボロジー会議,東京,53-54(2007-5)
*40 稲見 茂,高柳 聡,久保 朋生,七尾 英孝,南 一郎,森 誠之:同上,57-58(2007-5)
*41 彼谷 美千子,小田 寛人,木村 直行:同上, 55-56(2007-5)
*42 武市 嘉紀,山崎 貴文,福留 聖志,川邑 正広,上村 正雄:同上,61-62(2007-5)
*43 田所 千治,吉井 保夫,服部 仁志,西野 大介:トライボロジー会議,佐賀, 207-208(2007-9)

 

最終更新日:2017年11月10日