固体潤滑剤の最近の動向について解説願います。
解説します。
トライボロジという言葉が誕生して35年になりますが,固体潤滑はこれより早く本格的に研究・利用されて50余年が経過しています。新世紀を迎えてトライボロジおよびこれに関連する周辺分野において固体潤滑はますます重要となり,より発展が期待されます。効果的な固体潤滑による事故防止や省エネルギ・省資源のための固体潤滑(剤)技術の発展とともに,最優先される課題として「地球環境対策」があります。
21世紀の固体潤滑の課題を種々の観点からみると,次の4点に要約されます。
(1)機械や機器の著しい発展,すなわち高速化,高精密化,長寿命化,軽量化,小型化,そしてメンテナンスフリーなどに対応した固体潤滑
(2)トライボロジ環境からは,油潤滑が適用し難い高温,極低温,超真空,超高圧,放射線下などの極限環境に対応した固体潤滑
(3)応用面からは,航空・宇宙関係の機械・機器,ファイル記憶装置などの電子応用機器,マイクロマシンなどの最先端技術に対応できる固体潤滑
(4)地球環境にやさしく,トライボロジ特性に優れる新しい固体潤滑剤の開発
これらの課題の対応策として,新しい固体潤滑剤の創製,しゅう動部材の表面改質としての表面コーティング技術の進歩,そして固体潤滑剤との複合材化による自己潤滑性材料の開発があります。新しい固体潤滑剤の最近の研究動向としては,前述の4点を含め地球環境や耐熱性の観点から,それぞれ炭素系およびセラミックス系固体潤滑剤が注目されつつあり,特に最近研究対象になることが多く,これらが21世紀の固体潤滑剤の主役になろうとしています。ここでは,これらについての基礎研究の最近の動向を中心に概説し,応用については文献などを参照して下さい。
1.固体潤滑剤の最近の研究動向
(1)炭素系固体潤滑剤
世紀末の1999年と2000年の日本の固体潤滑(剤)の研究動向を春秋2回開催のトライボロジー会議(内2000年秋は国際会議)予稿集を概観すると,圧倒的に炭素系固体潤滑剤についての研究が多く,DLC膜,ダイヤモンド膜,CNx膜,C/BNなどの炭素複合膜による表面改質の研究であり,C/SiC系やクラスターダイヤモンド/炭素系などの自己潤滑性複合材料の研究があります。
1. DLC(ダイヤモンドライクカーボン)膜
炭素系薄膜ではDLC膜についての研究が最も多い。DLC膜は硬く,無潤滑下で非常に低い摩擦係数を示し,耐摩耗性でしかも耐腐食性などに優れることから,ハードディスクや磁気ディスク,磁気テープなどの応用電子機器,加工工具や金型表面のハードコーティング,水道の水栓バルブなどに広く応用されています。
DLC膜*3~*8はイオンプレーティング法,RFプラズマCVD法などの成膜法があります。これらの成膜法による摩擦摩耗特性についての研究例を示すと,イオンプレーティング法およびプラズマCVD法のいずれのDLC膜も0.1程度の低い摩擦係数と10-7mm3/Nmオーダーの低い比摩耗量が得られています*8。また図1に示すように,摩擦係数は相手摩擦材により異なり,SiCやSi3N4のセラミックスに対して0.1以下の低い摩擦係数が得られています*3。
またDLC膜の摩擦特性は湿度などの摩擦雰囲気の影響を受けます。
図1 DLC膜の各種材料に対しての摩擦係数 |
2. ダイヤモンド膜
ダイヤモンドは物質中最も硬く,化学安定性,低摩擦低摩耗性などの優れた点から切削刃先や耐摩耗材料として多くのトライボロジ利用があります。ダイヤモンド膜も自己潤滑性の耐摩耗性表面コーティングとして多く研究されています。
特にダイヤモンド膜は相手摩擦材としての対セラミックス用表面改質として期待されます。セラミックス自身は高硬度,耐摩耗性に優れますが,無潤滑下のセラミックス同士のすべり摩擦における摩擦係数は0.4~0.8と非常に高く,摩耗も10-5mm3/Nmオーダーの高い比摩耗量を示します。例えばSi3N4表面へのダイヤモンド膜の適用*9,*10によりSi3N4/ダイヤモンド膜系では0.01程度の摩擦係数と10-8mm3/Nmオーダーの非常に低い値が得られています。
3. CNx膜
高硬質のCNx膜はDLC膜やダイヤモンド膜とともに21世紀の新しい低摩擦を示す耐摩耗膜として期待されます*11~*13。例えばイオンビーム支援成膜(IBAD)法により単結晶Si(100)基板上に作製したCNx膜とSi3N4ボールとの各種雰囲気中の摩擦における摩擦係数変化を図2に示します*13。N2雰囲気下では0.02以下の非常に低い摩擦係数が得られています。
図2 CNX膜の異なる雰囲気における摩擦係数変化 |
4. フラーレンC60膜
直径が7Åの球状の超々微粒子フラーレンC60は,1990年大量合成法の報告以来,イオンプレーティングやスパッタリングなどの種々の薄膜作製法による潤滑膜として,その摩擦特性の基礎研究が行われています。その成膜法とC60薄膜のトライボロジ特性をまとめると,表1*14になります。これらの成膜法と薄膜の摩擦特性の詳細については文献*15,*16を参考にして下さい。
表1 種々の成膜法によるフラーレン,C60薄膜のトライボロジ特性
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5. 炭素系複合材料
炭素繊維で強化した炭素繊維強化炭素複合材料(C/Cコンポジット)が摩擦材料として研究・応用されて久しいが,グラファイト/ガラス状炭素(G/GC)系やクラスターダイヤモンド/ガラス状炭素(CD/GC)系複合材料も新しいC/Cコンポジットとして摩擦摩耗特性が検討され始めています*17,*18。図3*18はガラス状炭素(GC)を母材とした各種炭素系複合材料の摩擦特性を示します。クラスターダイヤモンド(CD20),グラファイトクラスターダイヤモンド(GCD20)およびグラファイト(G)を含有するC/Cコンポジットで低い摩擦係数が得られています。
図3 各種炭素系複合材料の摩擦係数 |
また炭化ケイ素の摩擦特性を炭素によって向上させた炭素/炭化ケイ素系複合材料の研究もあります*19。多孔質炭化ケイ素に有機液体を含浸させ,高温,不活性ガス雰囲気中で加熱炭化させた複合材料で,空気中,無潤滑の炭化ケイ素の摩擦係数が0.4以上の高い値であるのに対して,複合材化によりより安定した1/2以下の低い摩擦係数が得られています。
2.高温用セラミックス系固体潤滑剤
一般にセラミックスは1,000℃から2,000℃前後の高温焼成で調製される物質で耐熱性に優れますが,その中でも酸化物系セラミックスはもともと酸化物であるために高温用固体潤滑剤として期待されます。
新しい高温用固体潤滑剤としては酸素欠陥型ペロブスカイト構造を持つ複合酸化物のSrxCa1xCuO2 *20~*22,CaF2/BaF2/CrO2 *23 の3元系セラミックスが最近検討されています。前者ではCuO2層とSr(Ca)層が無限に積み重なった無限層構造が得られ,この構造がせん断されやすく,低摩擦を与えることと酸化物であることから高温用固体潤滑剤として期待されます。
最近無限層構造を有するSr0.14Ca0.84CuO2複合酸化物が高温ネジ用潤滑剤として検討され,その実用が期待されます。図4,5*24,*25に示すように,800℃,3hrの加熱処理をしても,汎用のMoS2やグラファイト系や市販の高温ネジ用潤滑剤より優れた特性が得られています。
図4 熱処理前後の緩めトルクの比較 |
図5 熱処理前後のねじの緩めトルク特性の比較 |
炭素系および高温用セラミックス系固体潤滑剤に絞って概観しましたが,まだ新世紀へ向けての新しい固体潤滑剤を十分に展望できなかったことは否めません。ただ21世紀において固体潤滑(剤)がますます重要になってくることは間違いありません。その他摩擦特性に優れるcBN膜*26,ナノオーダーの2種の薄膜を交互に積層した優れた耐摩耗性の多層膜*27,in-situトライボコーティング(その場摩擦支援型コーティング)法*28など多くの21世紀で期待される固体潤滑(剤)があることを強調しておきます。
<参考文献>
*1 日本トライボロジー学会トライボロジー会議予稿集,(1999-5);(1999-10);(2000-5)
*2 Intn.TribologyConf.,Nagasaki,(2000-11)
*3 H.Liu,A.Tanaka,etal.;ThinSolidFilms,352,145 (1999)
*4 仁平宣弘;光アライアンス,No.8,40-43 (1995)
*5 山本尚之;トライボロジスト,41 (9),760-765 (1996)
*6 桑山健太;トライボロジスト,42 (6),436-441 (1997)
*7 三宅正二郎;潤滑経済,No.385,20-25 (1998)
*8 A.Tanaka,M.Ko,et al.;Diamond Filmsand Technology,8 (1),51 (1998)
*9 三好和寿;トライボロジスト,41 (9),742-747 (1996)
*10 渋谷佳男,高谷松文;トライボロジスト,43 (1),73-78 (1998)
*11 A.Khurshdov,K.Kato,D.Sawada;Proc.Int.Tribology Conf.,Yokohama,1931-1936 (1995)
*12 E.C.Cutiongco,D.Li,Y.W.Chung,C.S.Bhatia;J.Tribology,ASME,118,543-548 (1996)
*13 梅原徳次,龍野正,加藤康司;日本トライボロジー学会トライボロジー会議予稿集,15-16 (1999-5)
*14 広中清一郎;潤滑経済,No.408,34 (2000)
*15 広中清一郎;表面技術,47 (5),419-421 (1996)
*16 広中清一郎;トライボロジスト,41 (9),772-776 (1996)
*17 M.Hokao,S.Hironaka,Y.Suda,Y.Yamamoto;Wear,237,54-62 (2000)
*18 M.Hokao,S.Hironaka;J.Ceram.Soc.Japan,108 (11),979-984 (2000)
*19 外尾道太,佐々木寛,広中清一郎;J.Ceram.Soc.Japan,108 (2)191-195 (2000)
*20 鈴木雅裕,佐々木雅美,広中清一郎;J.Ceram.Japan,106 (8),808-810 (1998)
*21 鈴木雅裕,佐々木雅美,村上敏明;トライボロジスト,43 (12),1064-1068 (1998)
*22 鈴木雅裕,広中清一郎,佐々木雅美,村上敏明;材料技術,17 (3),110-118 (1999)
*23 豊田泰,吉岡武雄,梅田一徳,新開心,兼子敏昭,板倉孝志;トライボロジスト,41 (2),146-153 (1996)
*24 鈴木雅裕,太田善郎,広中清一郎;日本トライボロジー学会トライボロジー会議,(2001-5) 発表予定
*25 鈴木雅裕,東京工業大学博士論文 (2001-3)
*26 S.Watanabe,S.Miyake,etal.;Trans.ASME,J.Toribology,117,629 (1995)
*27 辻岡正憲;日本トライボロジー学会トライボロジー会議予稿集,66-67 (1998-5)
*28 足立幸志,加藤康司;トライボロジスト,44 (1),39-45 (1999)