近年の産業機械は,高性能化,高効率化,小型化,長寿命化,省エネルギー化が強く要求されています。また,ダイオキシンやエンドクリン問題などの新たな汚染問題に焦点が当てられ,さらにPRTR法(特定化学物質排出量管理促進法)が施行されるなど,ますます環境・安全への意識が高まってきています。このような背景に伴って潤滑油の使用条件も過酷化し,従来以上の品質,性能,機能が,継続的に求められています。
Q1 POEの種類と特性を説明して下さい。
ポリオールエステル(POE),脂肪酸エステル(以下,エステル)は,潤滑性,耐熱性,低温流動性,難燃性,生分解性に優れていることから,わが国においても環境問題対応潤滑油基油として過去20年間に飛躍的に増加し,現在,年間15,000t以上が使用されているものと推測されます。エステルは鉱物油系などの潤滑油に添加・使用することでも潤滑性の向上を図ることができますが,鉱物油系に比べると高価であり,エステル結合を有するがために加水分解しやすく,また,鉱物油よりも極性が高いために鉱物油が用いられる用途にそのまま使うとシール材等の樹脂材料との不適合性や添加剤の選択の難しさ,高吸湿性などの問題があります*1~*3。
本稿では,エステルがトータルコストメリットを生み出し,その特徴ある性質を発揮している実用例を紹介します。
1. ポリオールエステルの種類と特性
各種エステルの物性値を表1 *1に,加熱減量曲線を図1に示しました。
表1 脂肪酸エステルの物性*1
*1:トリメチロールプロパン,*2:ペンタエリスリトール,*3:曇点,*4:融点 |
図1 熱天秤(TGA)による加熱減量曲線 |
エステルの最大の長所は,その分子量に比して動粘度,流動点が低いところにあります。ポリオールエステル(以下,POE)においては,結晶化するにはそのかさが高く,なおかつ会合性の基がなく,さらにエステル結合が比較的フレキシブルであることに由来すると考えられます。また,このことは同一粘度の炭化水素系油と比較した場合,エステルが高分子量となるため高引火点,低揮発性を示す理由となります。
Q2 POEをエンジン油や各種工業用潤滑油として使った実施例をご紹介下さい。
2. ポリオールエステルの実用例と効果
(1)エンジン油
エステルの高温安定性,潤滑性能,初期性能持続力,高純度性などからモータースポーツエンジン油,またはジェットエンジン油としての使用例が主流であり,価格面等の制約から一般自動車用油としての展開は遅れていました。しかし,配合技術の発達により一般自動車用エンジン油への使用が増え,省エネルギやオイル交換期間の延長等のメリットを生み出しています。
今後,自動車からの廃棄物としては排気ガスのみでなく,各種部品のリサイクル・補充液等の処理についても解決策が社会から求められます。耐用時間が長く,生分解性良好(万一の漏洩時に有効)であるエステル系エンジン油は時代のニーズにも充分応えるものと考えられます*4。
次世代の自動車エンジンとして研究されているセラミックガスタービンエンジンのエンジン油としてもPOEが評価されています*5。このタービンは高温・高速で回転し,高効率,省燃費が得られますが,従来の潤滑油では耐熱性,耐摩耗性,極圧性の面から使用が不可能であり,短鎖脂肪酸POEは,これに耐えうるものとして候補に挙がっています
(2)難燃性作動油
難燃性作動油は含水系と合成系に大別されます。国内の主流は含水系である水‐グリコール系作動油が占めており,合成系タイプとしては脂肪酸エステル系とリン酸エステル系等があります。脂肪酸エステルの特長は,油水分離性に優れ,水‐グリコール系に比べて格段に廃水処理が容易であり,引火点が鉱物油系よりかなり高いため高圧噴霧試験においても連続燃焼時間が短い点にあります。
当初は,鉱物油と調合して使用されてきました。ポンプ部品の摩耗量が従来の作動油に比べて非常に少ないというデータもあり,機械寿命の延長に役立っています。また,粘度指数が高く,粘度指数向上剤を必要とせず,せん断安定性が良く,長期間使用しても粘度低下が少ないなどの長所があります。さらに皮膚に対する刺激性等もごくわずかで,高温安定性が良く,低温流動性が良好などの特長があります。問題点としては,シール,塗料に対する適合性,加水分解安定性などが挙げられます。作動油に使用されるエステルは,主としてオレイン酸のPOEが使用されています。
実用例としては,製鉄所の圧延機や加熱炉まわりの油圧ライン,建設機械などがあり,特に欧米向けの輸出用建設機械への初期充填用に,その使用量は増えつつあります。これまで難燃性作動油は熱源に近い機械設備での使用に限られていましたが,高圧化対応,高機能化,安全対策・作業環境などを考慮すると,その用途はさらに拡大するものと予想されます*6~*9。
(3)冷凍機油
オゾン層破壊物質である特定フロン(CFC),および指定フロン(HCFC)の規制の動きに伴い,代替冷媒としてハイドロフルオロカーボン(HFC)が早期より有力視されていました。しかし,HFCはCFC・HCFCとともに長年使用されてきたナフテン系鉱油,およびアルキルベンゼン油とは非相溶であるため,相溶性のある潤滑油が必要となり,冷凍機油分野におけるPOEが開発されました。
冷凍機油は,冷媒を圧縮し,冷凍サイクル内を循環させるためのコンプレッサのしゅう動部分の潤滑を目的に使用されますが,一部が冷媒とともにサイクル内に送り出されてしまい,このサイクル内に送り出された油が効率的にコンプレッサ内に戻ってくるために冷媒と冷凍機油が溶け合う性質(相溶性)が必要となります。潤滑油と冷媒に相溶性がない場合,膨張弁のつまり,効率の低下,あるいは潤滑油の不足によるしゅう動部分の焼付き等を引き起こします。
ナフテン系鉱油,アルキルベンゼン油と比較して,POEは高い粘度指数,高い引火点,および大きい比重等の特徴を持つため,吐出部では高温に,蒸発機内では低温にさらされた状態で使用される冷凍機油に適しています。すでに,家庭用,産業用冷凍・空調分野において代替冷媒HFC134a,HFC407C,HFC410Aとともにすでに数年の使用実績を上げています。また,POEの特性を生かし,超低温分野においても使用実績を増やしつつあります*10。
(4)圧延油
鉄鋼の冷間圧延油として,比較的安価な牛脂,パーム油等の天然油脂が使用されています。しかし,天然油脂は常温では固体で貯蔵時や供給配管も保温を行う必要があり,また飛散したエマルションが固形化した付着物となり作業環境を悪化させるとともの製品欠陥を誘発します。
鋼用冷間圧延油には,圧延時のロールと圧延鋼板との間の摩擦を減少させるための高い潤滑性能,板面品質の確保,焼鈍工程後の圧延板表面に残留炭素が少ないこと,安定で長期間の連続使用に耐える二次的性能が必要です。さらに生産能力向上を目的とした高速化により,熱酸化安定性と圧延潤滑性の改良が望まれ,このような要求に合致するものとしてPOEが使用されています。
表2に,圧延油基油として一般に用いられている鉱物油や天然油脂および合成エステルの性状と基礎試験結果を示します*11。合成エステルは天然油脂に比べ流動点が低く,化学的安定性がより良好であることを示しています。
表2 各種圧延油ベースオイルの性状と基礎性能試験結果
粘度:40℃ |
天然油脂と比較して高価であるが,洗浄時間の短縮や製品欠陥の減少など生産効率が向上しトータルコストは低下します。
高速での圧延処理や脱脂工程を入れずに焼鈍工程だけで油分を除去する方法が検討されていますが,この油にはオイルステインが少なく,潤滑性の良いコンプレックスエステルが検討されています。
(5)グリース基油
グリースでは,エステルは通常,基油として使用されます。この基油が起因するグリース性能には,耐熱性,酸化安定性,低温特性,潤滑性,耐樹脂性などが挙げられます。代表的な基油の使用温度範囲を図2 *12に示します。
図2 合成油の種類と使用温度範囲*12 |
グリース用途では少量で潤滑がまかなえるため,他の用途に比較し鉱物油より高価なエステルを使用しても個々の部品に対するコストアップが小さく済み,定期交換の延長が図れるなどの性能向上分を考慮したトータルコストメリットが得られやすいことからエステルが広く使用されています。
情報機器関連,電化製品などの特殊グリースにおいて,低騒音,低トルク,長寿命化への対応のためエステルの検討・使用が拡大しています。ハードディスクドライブ装置(HDD)用スピンドルモータに使用される玉軸受は,低トルク,耐摩耗性,回転精度,低蒸発性,低飛散性が要求されるためエステルが使用されます*13。さらに,記録密度の向上に伴い軸受も改良されつつあり,基油においても更なる特性が必要になると思われます。
また,環境問題意識の高まりから生分解性グリースの要求が増加しています。グリースの生分解性は基油の生分解性に大きく依存するため,エステルが使用されています。特に開放系で使用される建設機械の作業機分野,農業機分野,鉄道分岐器などで生分解性グリースの具体的な検討が進められています。
(6)その他の用途
潤滑油が高温高圧の空気にさらされる空気圧縮機油,使用後の廃棄が問題となる切削・研削加工油剤,樹脂の滑剤や改質剤,合成繊維工業,電気絶縁油にもエステルが使用され,高機能化,効率化,環境保全に寄与しています。また,風力発電などはエネルギ効率向上のため軸受や歯車,油圧部分に関して研究開発が進められています。
エステルは,鉱物油に比べ高価ですが,生分解性が高く,目的に応じた分子設計により際立った特性を生み出すことができるため,その利用は生産性向上,低燃費化や出力アップ,メンテナンス期間の延長などを含めたトータルのコストダウンを図れるなど多くの利点があります。そのため機械産業の発展とともにその需要はますます増加すると考えられます。一方,エステルの添加剤の検討は鉱物油のそれに比べてまだ遅れており,極性の高いエステルへの添加剤の溶解性向上など添加剤の改良が今後のエステルの使用拡大に大きく寄与すると考えられます*14。
<参考文献>
*1 静,トライボロジスト,38,1 (1993) 28
*2 平尾,潤滑経済,(1999.5) 12
*3 日本油脂(株) 「ニッサンユニスターカタログ」 (1999)
*4 潤滑経済,(1994.7) 6
*5 平尾,月刊トライボロジ (1996.11) 34
*6 設楽,月刊トライボロジ (1997.8) 64
*7 小西,月刊トライボロジ (1999.9) 23
*8 作動油ハンドブック (1985) 44 (株)潤滑通信社
*9 門磨,PETROTECH (1985.5) 443
*10 由良,潤滑経済,(1997.10) 11
*11 及川,170回塑性加工シンポジウム (1996.7)
*12 玉井,潤滑経済,(1996.9) 28
*13 長野,潤滑経済,(2000.6) 10
*14 長谷川・平尾・目見田・南,(社)日本トライボロジー学会トライボロジー会議予稿集,高松 (1999-10) 363