食品工場用潤滑油の規格化への道のり | ジュンツウネット21

本誌で度々ご紹介してきた,(社)日本トライボロジー学会の食品工場用潤滑油研究会(主査:齋藤 美也子氏/略称:F.G.L.研究会)は,今年で4年目の活動を迎える。

度重なる食品メーカーや食品販売業者による偽装やずさんな品質管理などが問題視されて久しい中,F.G.L.研究会では偶発的に潤滑剤が混入する可能性がある個所で使用が認められているNSF H1グレードの潤滑油・グリースの啓蒙普及や,これからの潤滑油剤のあるべき方向性を検討している。

そこで今回は,これまでの研究会の活動を振り返りながら,食品工場用潤滑油の課題や食品メーカー,機械メーカーが求める潤滑剤について取材したレポートをご紹介する。

1. 食品工場における安全管理手法と潤滑剤

昨今の食品業界では,製品の安全性の確保とともに市場に安全な製品を提供していることの情報開示が必要なことから“徹底的な安全管理・品質管理”が必須となり,「HACCP」や「GMP」,「ISO22000」,「AIBフードセーフティー」などの安全管理手法を導入する企業が増えている。それは同時に,工場で使用している製造設備の潤滑油やグリースにも安全性の高い食品工場用潤滑剤を採用するという動きにもつながっているようだ。

HACCPは,Codex(FAO/WHO合同食品企画委員会)が作成した食品の衛生管理システムの国際基準で,システムのベースになっているのは施設や設備,機械器具から従業員の教育,製品の扱いや改修までを含む一般衛生管理である。また,ISO22000は,食品安全ハザードのリスク分析手法をHACCPから取り入れ,マネジメントシステムの考え方をISO9001から取り入れた食品安全マネジメント規格となっている。

表1 代表的な安全管理手法
HACCP(Hazard Analysis and Critical Control Point)
GMP(Good Manufacturing Practice)
ISO22000(食品安全マネジメントシステム:フードチェーン組織に対する要求事項)  
AIBフードセーフティー

食品メーカーでは,食の安全を追求していく中,これらマネジメントシステムを導入する企業が増加しているが,HACCP関係者によると,「小売業やフードサービスが食品の安全に神経質になってきている。それだけエンドユーザーのニーズが高まっているのでは」との声も聞かれる。また,「消費者の食品における安全性への関心は年々高まっていることから,積極的に衛生管理を行っているメーカーにオーダーが集中することになるのでは」との展望もあり,食品メーカーとしても,「万が一,食品に接触する可能性がある限り,H1オイルを使うべき」という声も強くなってきている。

しかし一方では,「H1を使うべきだが,すべてとなると全社的な取り組みが必要で,経営思想の問題にもなろう」,「最近はH1を販売するメーカーも増え,価格勝負の場合もあるが,安全と性能でも評価してなお安値なら言うことなしである」,「厳しい顧客では,H1でも理解いただけない場合がある」とF.G.L.研究会メンバーの川村氏は語る。

2. 食品工場用潤滑油規格の変遷

食品工場用潤滑油は,米国農務省(United States Department of Agriculture:以下USDA)が1967年に発行した食用鳥類,畜肉,卵などの処理場で使用する洗剤,殺虫剤,殺鼠剤,燻蒸剤などを,消費者の安全対策として,万が一人体に摂取されても安全なものとしてリストされたことに始まる。後に作業の機械化に伴い1969年版から潤滑油が追加された。

USDAでは,FSIS(Food Safety and Inspection Services)部門がその基準に合致しているかの判断をし,食品工場で使用される非食品用化学物質中,食品と接触する可能性がある場合を想定し偶発的に接触が許諾される潤滑剤のカテゴリーとしてAA(1969年~1979年まで,1980年よりH1),接触する可能性がない場合の潤滑剤としてBB(1969年~1979年まで,1980年よりH2)を設け,各カテゴリーの基準に合致した製品を記載したリストを通称ケミカルコンパウンドリストとして発行していた。

その後,米国農務省「USDA」が「HACCP」への方針変換と財政難から「H1 authorization」を廃止したことから,「USDA」のリストの発行は中止となり,登録プログラムのみが米国ミシガン州に本拠を置く,非営利の「NGO」NSF International(国際衛生科学財団)に委譲され,2000年よりNonfood Compounds Registration Programとしてスタートしている。

「NSFガイドライン」では,食品工場用潤滑剤とは「食品と偶発的に接触する可能性のある個所で使用が認められている潤滑剤 Lubricants with incidental contact(Category Code H1)と定義されている(NSFの原文と和訳は本誌2007年5月号 No.497に詳細を記載)。

この「H1」組成は米国「FDA(Food and Drug Administration)21CFR(Code of Regulation)Section 178.3570」に適合することが必要となっている。FDA21CFR178.3570には偶発的に食品と接触することが許容される潤滑剤成分,添加率までが規定されている。

表2 食品工場用潤滑油規格の変遷
1960年 食用鳥類,卵などの検査選別のプログラムとして刊行。
1980年 消費者保護のプログラムとして刊行。
1984年 食品の安全と検査のプログラムとして刊行。
1998年 食品の安全と検査のプログラムは,アメリカの政府予算縮小により廃止となる。
1999~2000年 空白期間。業界団体第三者機関などの間で主導権争い。
2001年 NSFが継承,第1回のWhite Book(旧USDAリストと同系の内容)刊行と製品の認証開始。
2002年 NSF 第2回White Book刊行。

3. 潤滑剤の選択と油漏れ対策

食品工場では表3に示すように,様々な機械と潤滑剤が使用されている。潤滑剤が食品に混入する可能性があることから,HACCPでは潤滑剤への考え方を次のように示している。

表3 食品工場で使用される様々な潤滑剤
ベアリング 軸受油/グリース
ギヤ ギヤ油
油圧装置 油圧作動油
コンプレッサー コンプレッサー油
チェーン駆動装置 チェーン用潤滑剤
ベルトコンベア グリース
熱伝導設備 熱媒体油

(1)潤滑剤を使用しない
(2)潤滑剤が漏れない,触れない対策
(3)偶発的接触が許容される潤滑剤の使用

食品工場では,衛生面や環境面から固体潤滑剤の適用や自己潤滑性材料の使用により,軸受の無給油化やクリーン化を推進する動きがあるものの,すべての対策を(1),(2)で適用することは困難かつ機械のコストアップにつながることから,(3)の食品工場用潤滑剤を採用するケースが増えている。

特に軸受では,NSF H1に登録され安全であることの他,万が一の場合に食品への付着を考慮して色や無味・無臭などの配慮や,摩擦・摩耗特性,耐水性,耐酸性,耐アルカリ性,高温特性,給脂性などが考慮されたものが要求されてきている。

そこで軸受メーカーでは,食品機械の使用条件や環境面を考慮し,転がり軸受への最適な封入量やグリースの選択などを行い,グリース漏れの低減や軸受の早期損傷への対策を施しているという。

またグリースメーカーによると,「過去には食品用グリースにはH1など安全性を求めるだけであったが,最近では性能が伴わないと採用には至らない」という。

潤滑剤の混入対策としてもう一つ重要なのが食品機械用シールの選択である。食品機械のラインでは,サニタリー性を維持するために頻繁に殺菌や洗浄工程が採られている。高温水や蒸気など高温条件や,酸・アルカリ・塩素といった化学薬品の使用など厳しい使用条件となることから,耐熱性や耐薬品性などを併せ持つシール材料の選択が必要になってきている。

シールには食品衛生法(ゴム製品の食品関連法規:厚生省告示第85号/第370号,樹脂製品の食品関連法規:厚生省告示第20号)のように法的要求事項を満足することが前提条件として付加されているが,潤滑剤はこの限りではない。

4. F.G.L.研究会の発足と啓蒙活動

先にも触れたが,日本には食品工場用潤滑剤を定義するものはない。F.G.L.研究会のメンバーの森氏によると,「食添油を使いたいが,どういうのを使えば良いのか」という質問を受けることがあるという。「食添油」という表現を使用する場合,食品添加物の範疇に入る潤滑油という意味である。質問者は食品工場用潤滑剤と食品添加物で造られた潤滑剤を混同しているが,このような例が現在でも多いようだ。表4に食品機械用潤滑剤に関する法令を示すが,現在食品工場用潤滑剤としてオーソライズされているものは「NSF H1」のみである。「USDA H1」とは,過去に認証を受けたもので,現在は無効である。また「FDA認証○○」や「食品機械用○○」などといった名称には公的な基準はなく,製造メーカーが独自の判断で付けた名称である。

表4 食品機械用潤滑剤に関する法令
欧州 ○EC Directive 93/43/EEC
 ―通称HACCP指令。95/12月からEU圏で食品・飲料品を製造する製造業者すべてにHACCPによる製造工程管理の導入が義務付けられた。
○EC Machine Directive 89/392/EEC
 ―欧州衛生的装置設計組合(EHEDG:European Hygienic Equipment Design Group)が勧告している食品加工機器の設計,据え付け,洗浄などのガイドライン。
 ―潤滑剤に関するガイドライン「FDAの規則(21CFR § 178.3570)に適合したグリースおよび潤滑油であること=NSF(USDA) H1」
日本 ○厚生労働省
 ―食品衛生法第7条〔食品又は添加物の基準及び規格〕
 ―食品衛生法第9条〔有害有毒な器具又は容器包装の販売の禁止〕
 ―食品機械で使用される潤滑剤の安全性に関する規制・規格は現時点で存在しない。

「食品機械用潤滑剤」の種類

図1 「食品機械用潤滑剤」の種類

一般潤滑剤とH1潤滑剤

図2 一般潤滑剤とH1潤滑剤

また「厚生労働省が認可した食品機械用潤滑剤を使いたいのだけど」という質問には,「厚生労働省では,食品添加物成分規格で,流動パラフィンをパン製造時の分割油(デバイダー油および離型剤)として使用を定めているだけなので,潤滑剤ではなく食品添加物として許可されたものです」と答えているという。

F.G.L.研究会主査の齋藤氏は,過去の経験から「潤滑剤メーカーは,これらの食品機械用潤滑剤の規格や名称の違いをユーザー側に十分説明する必要がある。F.G.L.研究会では正確な情報をオーソライズし,啓蒙,普及することも重要な役目の第一歩」と話す。

これまでもH1登録製品を,「食べても安全」,「人畜無害の潤滑剤」という表現をする販売業者がいたが,食品添加物でも使用量や使用方法に制限があるように,潤滑剤の混入許容濃度や使用する個所に関する十分な説明が必要となる。また,規格のない商品の場合については,「毒性についてどのような評価がされているのか」,「どのような使用方法が適当か」といったことなどである。

NSF H1登録基準である,FDAの規定ではH1登録潤滑剤の食品への混入許容濃度は「10ppmを超えないこと」とされている。当然ながらH1以外の一般工業用潤滑油は,たとえわずかでも食品への混入は許されない。

表5 NSFガイドラインによる食品工場用潤滑剤の区分
H1 食品と偶発的に接触する可能性のある箇所で使用が認められている潤滑剤 防錆用,タンクの密閉に使用するガスケットやシールの脱着用,潤滑用などとして,食品と偶発的に接触する可能性のある箇所での使用が認められるためには,CFR21項178.3570節と,その中で参照されている節の内容に従って,配合された製品でなければならない。
使用量は機器の要求性能を満たす必要最小限でなければならない。
その製品を防錆用として使用した場合には,機器が運転に入る前に,洗い流すか拭き取らなければならない。
H2 食品に接触する可能性のない箇所で使用する潤滑剤(カテゴリーコードH2) ここで示す製品とは,食品に接触する可能性のない箇所で使用する潤滑剤である。
この潤滑剤に使用する原材料物質のリストは特にない。
工業用に一般的に使用されている成分は,ガイドラインの5.1項に示されている成分を除き,そのほとんどが使用可能である。
その他にも,毒性またはその他の理由で使用が認められない物質もある。
H3 ソルブルオイル ここで言う「ソルブルオイル」とは,フック,トロリー,それらの類似器具の防錆用に使用される。
食品に接触する器具に使用した場合は,運転に入る前に洗うか拭き取らなければならない。
「ソルブルオイル」は下記のもので作られていなければならない。
 ○CFR21項172.860節で規定されている食用油(とうもろこし油,綿実油,大豆油)
 ○CFR21項172.878節で規定されている鉱油
 ○CFR21項182(マルチパーパスのみ)または184節で規定されたGRAS物質

5. 食品工場用潤滑油に求められるもの

食品工場で使用されるベアリング,ギヤ,ポンプなどを供給する機械メーカーでは,H1潤滑剤の使用について機械メーカーの指定油や推奨油として検討しているところが出始めている。「すでに20年以上前から海外の食品関連の機械メーカーでは,ルブリストに一般潤滑剤とAA(H1)潤滑剤を併記しているケースがある」と話すのは前述の齋藤氏。機械側が潤滑剤に求める要求性能は一般の潤滑剤と同じだという。「特に食品工場の場合,品質にデリケートな神経を使うため,一般潤滑剤よりも高い潤滑性能や長寿命が求められている」。

だが一方で,食品用潤滑剤に関して全く知識のない機械メーカーが多いことも事実。「工業用潤滑油以外にも,食品工場用潤滑油を製造しているとは夢にも思わなかった。H1規格も詳しく知らない」といった声も依然聞かれる。

自動車や工作機械に潤滑剤の性能評価の規格があるように,今後はH1の安全性を持ち,潤滑性能が満足いく製品化とその規格作りが必要ではないかと思われる。そのためには,食品製造,食品関連機械製造,潤滑剤製造の各メーカーが同じテーブルで議論する必要が迫っていると考えられる。

食品工場用タンクを製造する小松川化工機(株)の川村社長は「今まで食品工場用の潤滑油やグリースがあることは知らなかったが,今後規格化が検討されるのであれば,私たち製造メーカーにとってもありがたいこと。地域で食品工場用と一般用と違うものを採用するのではなく,全国で食品工場用の潤滑剤を使用するべき」との見解を示した。また,同社で営業技術を担当する三沢氏は,「これまで,食品に潤滑油やグリースが混入しないための手立ては尽くしていますが,絶対ということはありえません。企業の自己防衛策としてもこのような潤滑剤があることを我々機械メーカーがお伝えすることも大事な役目」と話した。同社によると製薬や医薬などの取り引きもあり,食品以上とも言われる安全意識の高い製造業へのアプローチも欠かせないようだ。

写真1 小松川化工機 川村社長(左)・三沢氏(右)

F.G.L.研究会は今こそ,それらの業界にF.G.L.の導入と何らかの規制を提言できる立場であり,すべきであると期待する。

現在はNSF H1製品の製造面に関する指針は特になく,各製造メーカーの独自の基準で行われているが,消費者の眼が食の安全に対してますます厳しくなる中,食品メーカーや機械メーカーでは,HACCPやGMPの手法を取り入れた製造設備の推進も必要になるものと思われ,使用する食品工場用潤滑剤が「どこの工場でどのような品質管理のもと製造されているか」を実際に使用する側から確認の要求が出てくることは十分にあり得るし,また製造側も情報公開の必要がそう遠くない時期にくるであろう。

 

<参考文献>

*1 阿保 篤志:「食品機械用潤滑剤メーカーの近年の取り組み」,月刊潤滑経済,No.434,2002年5月号,p.12‐p.16
*2 齋藤 美也子:「食品工場用潤滑剤NSF ガイドラインの和訳掲載について」,月刊潤滑経済,No.497,2007年5月号,p.40‐p.43

 

最終更新日:2017年11月10日