摩擦面の計測と分析では,摩擦面という“生きた表面”を対象にすることの特殊性を踏まえながら,トライボロジーにおける計測・分析技術の現状と今後の動向について展望する。
はじめに
トライボロジー現象は複雑なため,摺動条件の詳細が明確な場合でも,摺動材料や潤滑油の選定,表面の形状や粗さなどを一意的に決定することは不可能とされる。その大きな原因は,摩擦や摩耗によって表面状態が多様に変化するところにある。「固体は神が創り給うたが,表面は悪魔が創った」とはWolfgang Pauliの言葉であるが,“表面”自体の理解は,バルク固体に比べて大きく遅れをとった。極めて高純度かつ清浄にコントロールされたシリコン結晶においてでさえ,その(111)面が7×7構造をとるということに決着がつくまでに最初の発見から20年以上の年月を要したのである。終止符を打ったのは,1982年にRohrerとBinnigが開発したSTM(走査型トンネル顕微鏡)*1による観察の結果であった。このSTM開発の功績により,RohrerとBinnigは1986年のノーベル物理学賞を受賞しているが,この発明は一つの表面分析手法の発展に留まらず,原子・分子レベルでの分析および制御に道を拓き,国際的なナノテクノロジーブームを巻き起こす源泉ともなった。これにより,表面計測・分析技術は飛躍的な発展を遂げ,トライボロジー分野にも少なからぬ波及効果をもたらしたのであった。
トライボロジー現象の場合,表面極表層のまさに原子・分子レベルの特性が,マクロな摩擦・摩耗特性を支配することがある。かつては想像の域を出なかった原子・分子レベルでの摩擦・摩耗メカニズムの議論も,最近では精密かつ高感度な表面計測・分析技術によって真偽が検証されるようになり,詳細なメカニズムの解明や理解などを通して新しい摺動材料や潤滑油,さらには潤滑システムの開発が進みつつある。
本稿では,摩擦面という“生きた表面”を対象にすることの特殊性を踏まえながら,トライボロジーにおける計測・分析技術の現状と今後の動向について展望する。
1. トライボロジーと表面性状
一般の表面分析で対象とされる表面と摩擦面が大きく異なるのは,本当の摩擦面は動的環境下においてのみ存在するという点にある。すなわち,摩擦状態から解放した表面はすでに真の摩擦面ではなく,さらに計測や分析のために表面洗浄などの処理を施された表面は,生き物に例えるならば化石状態にあるということができよう。しかしながら,摩擦面をその場で計測・分析することには限界があり,通常はなるべく状態のよい化石を準備し,これをもとに生きた姿を推測する作業が行われる。また,生前と死後の状態を比較することで表面の歩んだ“人生”に思いを馳せるような試みが,トライボロジーの計測・分析においては実施されることになる。
一般に固体表面は,図1に示したように周囲の雰囲気とバルク固体との間を連続させる界面構造を有している。このようなナノオーダーの構造は,より大きな表面構造であるサブミクロンオーダーのうねりや粗さの上に形成されており,マクロな表面形状に与える影響は少ないものの,表面物性やトライボロジー特性を大きく支配することもある。摩擦面の場合には界面構造を構成する元素種も増え,かつその構造も様々に変化することとなる。単純な系である同種単一金属同士の乾燥摩擦の場合でも,表面には酸化物の形成や結晶構造の乱れなどが起こる。鉄のように形成される酸化物が数種類ある場合には,酸化物の違い(Fe2O3とFe3O4)によって摩擦・摩耗特性が変わることもある。異種金属の摩擦の場合には,移着や合金化,複合酸化物の形成などによって表面状態はより複雑になる。さらに潤滑下では,潤滑油分子の吸着層や反応生成物などの形成により,表面ではコンプレックス構造が複雑に経時変化することとなる。トライボロジー特性を大きく支配する反応生成物の形成は,添加剤のみの性質によって決まるものではなく,摺動履歴や固体表面あるいは表面に形成される酸化物などの化学的状態に大きく影響を受ける。このため,反応メカニズムを解明するためには,最表面の反応生成物を分析するだけではなく,深さ方向の3次元分析も必要不可欠となる。なお,化石が生存時の色彩を失っているように,分析のために前処理を施した表面は,存在していたはずの様々な情報が欠落した状態にあることに注意しなければならない。
図1 固体表面の構造
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摩擦・摩耗メカニズムを考察する上では,表面の化学的特性もさることながら,表面の機械的な性質も重要な因子である。中でも硬さやヤング率は,摩擦面の弾性・塑性変形および真実接触状態などに直接影響する因子であるため,その定量的な評価は必要不可欠となる。最近では,ナノインデンターやAFM(原子間力顕微鏡)などの利用*2により,硬質薄膜や反応生成膜などの表面極近傍の機械的特性が高い精度で測定できるようになり,表面改質や潤滑油添加剤の設計などにも測定データが活用されている。この他,トライボロジーと関係が深い表面の性質としてぬれ性がある。ぬれ性の評価は,固体表面上の液滴が作る接触角を測定することによって行う。この昔からの基本原理は変わらないものの,画像解析ソフトを使って接触角を精度よく求めるものや温度環境を広い範囲で制御可能なものなど,測定装置の利便性は大きく向上している*3。さらに,表面の熱伝導率や導電性,電磁気特性などの物理的な性質が摩擦・摩耗特性に影響を及ぼす場合もある。これら表面極近傍の各種物性に関しては,SPM(走査型プローブ顕微鏡)技術を応用することにより,様々な測定手法が開発されている*4。
表面の形状もトライボロジー特性を支配する重要な表面性状の一つである。表面のうねりや粗さは相手表面との接触状態を決める主因子であり,初期なじみの過程で大きな影響を及ぼすとともに,2固体間の硬度差が大きい場合には,アブレシブ摩耗の支配的要因となる。機械要素設計において,摺動部分の表面仕上げに細心の注意が払われるのはこのためであり,製品の品質管理の一環として表面粗さやうねりは必須の検査項目としてはずすことはできない。
一方で,精密加工技術の進歩により,超平滑面の創製や任意パターンの形成が容易となったことを背景に,表面の幾何構造によってトライボロジー特性を制御しようとするサーフェース・テキスチャリング技術が注目されている。サーフェース・テキスチャリング技術の歴史は古いが,最近ではパターンの微細化が進むとともに,マクロなテキスチャリング構造との複合化を図るマルチスケール・テキスチャリングの概念も提唱されている*5。このようなテキスチャリング表面の計測においては,ナノオーダーからミリメートルオーダーまでの広いダイナミックレンジでの高さ方向分解能と,センチメートルオーダーの広い測定領域が要求される。また,耐摩耗性に優れた硬質薄膜などの普及により,極わずかな摩耗量を正確に把握することの必要性から,摩耗面の3次元形状測定に対する迅速化と高精度化へのニーズは高い。
2. 摩擦面性状の計測と分析
人がものを理解しようとするとき,まずは外見の観察から始めるのが常であろう。次に局所を詳細に調べたり突いて感触を確かめたりすることによって,ものの本質を見極めようとする。摩擦面の性状を計測・分析する場合も同様である。ただし,ここで重要なことは,得たい情報に応じて最適な測定手法と装置を選定することである。また,一つの測定手法では十分な情報が得られない場合も多く,その際には互いを補完する複数の手法を組み合わせることにより,情報の信頼性を高める工夫も必要になる。
2.1 表面形状と粗さ
表面形状を計測する方法は,表1に示したように接触式と非接触式に大別される。なお,この表で示した垂直分解能と測定領域は,市販装置における平均的な値を示したものである。接触式形状測定装置を代表するものとしては,従来型の触針式表面粗さ計とAFM(原子間力顕微鏡)がある。AFMは原子レベルの凹凸を識別する高い分解能を有するが,測定可能な範囲は垂直および水平方向ともに限定されるため,荒れた摩耗面の観察や大きなうねりの測定には適さない。トライボロジストにとって,触針式粗さ計は必須のツールと言えるほど広く普及しているが,それら多くはライン分析を主体としたタイプがほとんどである。しかし最近では,耐摩耗性材料の摩耗量を正確に把握するなどの理由から,摩耗痕全体の3次元計測が必要とされるケースも増えており,3次元測定が可能な利便性の高い触針式粗さ計*6の導入も進んでいる。なお,トライボロジーでは回転する機械要素が多く使われるため,表面粗さに次ぐ重要な形状因子として真円度というものがあるが,その基本的な測定原理は触針式粗さ測定と同じである。
表1 表面形状計測装置の種類と概要
*分解能ならびに測定範囲はあくまでも目安 |
非接触式形状測定装置としては,光をプローブに用いるものが主であるが,電子線を用いたSEM(2次電子顕微鏡)やイオンビームを用いたイオン顕微鏡なども形状観察の観点から含めることができよう。4つの2次電子検出器を搭載することでSEMの形状計測能力を強化した電子線粗さ解析装置*7というユニークなシステムも市販されている。光プローブ方式では,白色干渉光学系や共焦点光学系を用いたもののほか,レーザー変位計を触針の代わりに用いた表面形状測定装置*8なども市販されている。白色干渉計方式は,0.1nm程度の非常に高い垂直分解能が得られるのが特徴で,標準的な汎用機器に加え用途に合せた多様な機種が市販されている*9。共焦点レーザー走査型顕微鏡の場合,垂直分解能は0.01μm程度であるが水平分解能では白色干渉方式よりも優れるなどの特徴がある。従来の光学顕微鏡に代わるものとして普及が進んでおり,国内でも複数のメーカーによる汎用機種が販売されている*10。また,共焦点方式と白色干渉方式を組み合わせた3次元形状測定装置*11や,AFMと光学顕微鏡を一体化したレーザー顕微鏡*12など様々な機種が市場を賑わしているが,これも高精度な3次元表面形状測定に対するニーズの高さを表しているものと言えよう。
2.2 構造・組成と化学状態
表面分析には,表2のようにプローブ(1次粒子)と観測(2次)粒子の組み合わせから分類しただけでも,数多くの手法があることが分かる。表面分析によって得られる情報は,測定手法のみならず測定条件によっても異なるため,分析目的に応じて最適な測定方法を選択する必要がある。個々の分析手法や適用例については専門書など*13,*14を参考にして頂くこととして,ここではトライボロジー分野での今後の活用が期待される手法について考えてみたい。
表2 表面分析手法の種類
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先にも述べたように,摩擦面分析は本来,摩擦条件下の生きた状態を観察するのが理想である。しかしながら,多くの表面分析手法は真空という特殊環境と一定の静止した分析時間を必要とするため,これらがin lubro分析*15を阻む大きな原因となっている。真空が必要とされるのは1次粒子もしくは2次粒子の寿命と関係しており,例えば電子の場合は大気中に放出されれば一瞬にして他の粒子に吸収され,持っていた情報を失ってしまうことになる。しかし光の場合には,大気中もしくは液体中でも情報の維持・伝達ができるため,光をプローブ粒子および観測粒子とするIR(赤外)分光法やラマン分光法などはin lubro分析にも適用が可能である。ただし,これらの方法は表面・界面のみの情報を選択的に測定できず,十分な感度が得られないケースも多い。そこで期待されているのが,SFG(光和周波発生)分光法*16のトライボロジー分野での展開である。SFGは2次の非線形光学効果で,周波数の異なる光(ω1とω2)の合成によって周波数(ω1+ω2)の光(和周波光)が発生する現象である。SFG分光法の特徴は,和周波光の発生が反転中心を持たない表面・界面でしか起こらないため,和周波光を分光すれば表面・界面のみの振動スペクトルを感度良く検出できる点にある。また,光の偏光を使うことによって表面に吸着した分子の配向を調べることも可能なため,高圧・高せん断を受ける摩擦面での潤滑油分子の挙動解明などに強力なツールとして役立つことが期待されている*17。
2.3 機械的性質
トライボロジーに最も大きな影響を及ぼす表面の機械的性質は,硬さおよびヤング率である。トライボロジーに関係するこの他の機械的性質としては,脆性材料の場合には表面の破壊じん性が,コーティング材料の場合には膜の密着性などが挙げられよう。薄膜の密着性試験方法*18には,スクラッチ法,引きはがし法,引っ張り法,引き倒し法,捩り法などの様々な評価方法がある。しかし,各評価手法間の互換性はもとよりスクラッチ法によるデータに限っても,膜の剥離が起こる臨界荷重の測定値には絶対的な意味は存在しない。すなわち,同一の装置と測定条件下で得られた臨界荷重値の大小からは膜の密着性の優劣は判断できたとしても,他の装置や手法によって得られた値を比較することはできない。最近,DLCなどの硬質薄膜の普及を背景に,膜の剥離荷重などが安易に表記されているケースも見受けられるが,数値の大小のみで密着性の優劣を判断することは止めたほうがよい。
おわりに
近年の表面計測・分析装置類の進歩には目を見張るものがあるが,同時に装置価格も大幅に上昇する傾向にあり,トライボロジー専用に計測・分析装置を確保することは極めて贅沢な状況と言えよう。トライボロジーで扱うサンプルは,一般の分析用サンプルに比べ“汚い”ものが多い。本来は汚れているサンプルほどその表面には多くの情報が残されているのであるが,このようなサンプルを共用設備として管理された高価な分析装置に持ち込むには,他のユーザーの理解と協力を得ることが必要不可欠であり,これが装置利用の障害になることもある。このようなことが原因かどうかは確かではないが,摩擦面の計測や分析に自ら手を染めないトライボロジストが増えていることを危惧する声をよく耳にするようになった。しかしながら,実際の摩擦面を観ることはトライボロジー現象を理解するための第一歩であり,本来は既存の計測・分析技術などを十分に理解した上で必要とされる手法などを自ら開発する取り組みこそが,トライボロジストにとって最も重要な仕事の一つではないだろうか。摩擦面という特異な場で起こる現象には,未だ十分に解明されていないことも多い。これらの現象を理解することを目的に生み出された新たな計測・分析手法が,STMの発明のように科学全体に大きなブレークスルーをもたらすようなインパクトをもたらす可能性も否定できない。悪魔が創った表面,さらに未だ悪魔が取り付いているとも言われる摩擦面であるが,その計測・分析技術にはまだ多くの宝物が隠されているものと期待している。
〈参考文献〉
*1 G. Binnig, H. Rohrer, Ch. Gerber and E. Weibel:“Surface Studies by Scanning
Tunneling Microscopy”, Phys. Rev. Lett., Vol.49, No.1(1982)57-61
*2 三宅晃司,元田智弘,佐々木信也:“ナノインデンテーション”,トライボロジスト,51,7(2006)518-523
*3 例えば 英弘精機株式会社 「自動接触角測定装置」,http://www.eko.co.jp/eko/c/c09-fr.html
*4 森田清三:「走査型プローブ顕微鏡 最新技術と未来予測」丸善(2005)
*5 P. Gregory Engleman1, Narendra B. Dahotre1, Anil Kurella, Anoop Samantand Craig
A. Blue:”Theapplication of laser-induced multi-scale surface texturing ”,Journal
of the Minerals, Metals and Materials Society,57,12(2005)46-50
*6 例えば テーラーホブソン株式会社 「タリサーフ」,http://www.taylor-hobson.jp/product/index.html
*7 株式会社エリオニクス 「電子線三次元粗さ解析装置」,http://www.elionix.co.jp/products/ERA/index.html
*8 例えば 株式会社キーエンス 「高精度形状測定システム」,http://www.keyence.co.jp/henni/3jigen/ks_1100/index.jsp
*9 例えば Zygo社 「NewViewシリーズ」,http://cweb.canon.jp/indtech/zygo/lineup/newview/index.html
*10 例えば 株式会社キーエンス http://www.keyence.co.jp/microscope/,
オリンパス株式会社 http://www.olympus.co.jp/jp/insg/ind-micro/product/ols/index.cfm,
レーザーテック株式会社 http://www.lasertec.co.jp/products/microscope/index.html,
*11 Sensofar Japan PLu2300 http://www.sensofar.co.jp/index.html
*12 株式会社島津製作所「ナノサーチ顕微鏡」,http://www.an.shimadzu.co.jp/surface/spm/sft/index.htm
*13 河村末久,中村義一:「表面測定技術とその応用」共立出版(1988)
*14 吉原一紘,吉武道子:「表面分析入門」裳華房(1997)
*15 P.M.Cann,H.A.Spikes:”In Lubro Studies of Lubricants in EHD Contacts Using
FTIR Absorption Spectroscopy, 34, 2,( 1991)248. 256
*16 宮前孝行,野副尚一:“和周波分光法(SFG)による高分子表面・界面構造の研究”,真空,47(2004)509-515
*17 三宅晃司ほか:“固液界面に吸着した潤滑剤・添加剤分子の表面振動光”,日本機械学会第8回機素潤滑設計部門講演会講演論文集,倉敷(2008)13-14
*18 金原粲ほか:「薄膜材料の測定と評価」,技術情報協会(1991)