摩擦面の化学分析 | 表面試験測定分析BOX | ジュンツウネット21

摩擦面の化学分析では,摩擦面上に存在する化学物質を検出するための分析手法を解説する。

岩手大学 南 一郎  2008/6

はじめに

摩擦面にはどのような物質が介在して潤滑に寄与しているのか。そして,その物質の構造を制御することで潤滑性能を向上できないか。本稿では,摩擦面上に存在する化学物質を検出するための分析手法を解説する。「トライボロジーの研究・開発の経験があり,その過程で生じた疑問点を表面分析を使って晴らしたいが糸口がつかめない」読者を想定して記述した。ゆえに分析そのものの初心者にも抵抗がないように,平易な記述を心がけた。また,トライボロジーに役立つ基礎的事項に焦点を絞り,網羅的な記述や測定原理の詳細は省略した。

1. 表面の化学分析

化学分析とは,試料中に存在する元素を認識してその存在量や存在状態を求める手段で,前者を定量分析,後者を定性分析という。ここで「存在状態」とは,該当する元素が(1)どのような化合物を構成するか(2)その化合物が三次元構造中にどのようなかたちで存在するか,を意味する。たとえばスチールの主成分であるFeは,試料中にFe(金属)として存在するものもあればFe2O3(酸化物)として存在するものもある。そのFe2O3にもα型とγ型の結晶構造があり,それらを区別すればより精密な化学分析となる。金属と酸化物あるいは結晶構造の相違を区別する精度を化学分解能という。ここまでは表面分析に限らずすべての化学分析の共通点である。

表面分析にはいくつかの方法があり,詳しくは文献*1を参照されたい。表1にはトライボロジー関連の文献に頻出する化学分析の例とプロフィールを簡単にまとめた。あくまでも後述する解説のための参考例とご理解いただきたい。

表1 トライボロジーの文献に頻出する表面分析法の例
分析法と略号
分析領域
分析対象
得られる化学情報
感度
分析雰囲気
横方向
縦方向
赤外分光法(IR) 10μmΦ以上 約1μm
主に有機物
特性官能基の存在
特性官能基に依存
大気中
電子プローブ微少部分分析法(EPMA,SEM-EDX) 約1μmΦ 約1μm
Beより大きい元素
元素の存在と定量
約0.01重量%
高真空下
X線光電子分光法(XPS,ESCA) 約1mmΦ 数nm
Liより大きい元素
元素の結合状態
0.1原子%
オージェ電子分光法(AES) 約1μmΦ 約1~3nm
Liより大きい元素
元素の存在と定量
0.1原子%
二次イオン質量分析法(SIMS) 約1μmΦ 約1nm
全元素
部分構造
0.1原子%

いずれの測定でも,基本的には分析標的に刺激(入力信号)を与えてそれに対する応答(出力信号)を解析する(図1)。ここで重要なポイントは,分析対象のサイズ(縦方向と横方向がある)と出力情報に含まれる化学分解能である。測定する雰囲気も大切である。たとえば,大気中で測定できる装置に摩擦試験機を接続すれば,まさに摩擦面の動的状態を認識することができる。このような分析方法はin lubro分析とも言われ*2,トライボロジーにとって極めて有益である。しかし,現状では分析感度が低いので,その応用例は限られる。

表面分析の基本原理と測定領域の概念図

図1 表面分析の基本原理と測定領域の概念図

表面に存在する化学物質を高感度で検知する装置には,試料を真空下に置いて測定するものが多く,狭義にこれらを「表面分析」とすることがある。最近の機器に共通する点として,表面分析も測定そのものはキーボードからコマンドを入力すればよい。けれども真空の取り扱いと微小部分の位置決めにはかなりの熟練を要する。しかも表面分析装置は他の化学分析機器と比べて高価なものが多い。したがって,分析の操作はオペレーターに依頼することがほとんどである。

分析に先だって,真空装置内を汚染しないように,試料は十分に洗浄して潤滑油を除去しなければならない。摩擦面をいわばスルメの状態にして分析することになるのでin lubroとはその状態は異なるが,表面分析はうまく使えば有益な情報を与えてくれることが多い。

2. 摩擦面分析の難しさ

筆者がよく受ける質問に「摩擦面の最適分析法は何か」がある。その真意は,ひとつの測定で完全解答を得ることのようである。なにしろ表面分析の料金は,目玉が飛び出るほど高い。だが分析は打ち出の小づちではない。そこで摩擦面の分析が技術的に難しいことを説明する。

2.1 分析サイズ

分析サイズが小さければ精密分析として有益のように思える。けれども微小領域の分析は「木を見て森を見ず」に陥る危険性がある。一例として,ASTM D 4172で規定された四球式摩耗試験で,分析試料を作製することを考えてみる。軸荷重392Nでは試験片上に0.3mmφのヘルツ痕が生じる。摩擦試験を行うと摩耗痕径はこれ以上になるので,EPMAの分析サイズ(横方向)の500倍程度となる。この比は野球場全体の面積とホームベースのそれに相当する。したがって分析の照準をどこに定めるか。すなわち,分析位置が土なのか芝生なのか(これは存在元素の違いに相当する),その芝は天然か人工か(これは化学分解能に相当する)。ミクロに見れば,均一な摩耗痕が得られることはほとんどないので,分析位置を定めることは表面分析を成功に導くキーポイントである。

縦方向の分析サイズも重要である。表面処理やコーティングはマイクロメートル以上の厚さが一般的である。一方で表面に吸着した分子が摩擦を緩和するメカニズムは教科書にもあるとおりで*3,摩擦面上に生じる単分子膜を検知したいならばサイズはナノメートルである。

縦横ともに分析サイズを小さくすると,そこに存在する物質の量も少なくなるのでより高感度に出力・信号・検知する必要がある。ここで問題となるのは汚染物質である。どんなに丁寧に扱ったとしても,雰囲気から汚染物質が分析試料に付着あるいは吸着する。その結果は試料の最表面は汚染物質で覆われてしまい,そこを高感度分析してゴミのスペクトルを得ることになってしまう。

 

2.2 試料表面の凹凸

教科書にある分析事例は純物質の平滑面を対象としているものが多い。表面に凹凸があると,入力信号の陰になる部分は分析できない。さらに表面の凹凸で入力信号が散乱するので,感度が低下することがある。摩擦面の粗さは,マイクロメートルのレベルなので表面感度の高い分析法にとって好ましくない。

 

2.3 標的物質の表面における濃度

表面分析は微小領域の分析であるとともに微量成分の分析でもある。摩擦面上に存在する標的物質の濃度が低いことも分析を難しくする要因のひとつである。まず分析試料面は母剤の成分がほとんどを占める。ここに特定の物質が介在して,トライボロジー特性を向上させるのだが,単一物質で用が足りることは希である。すなわち,摩擦面上に存在するのは複雑な混合物なので標的物質は薄まる。表1に例示した分析法のなかで最も表面間度が高いSIMSは,単分子吸着膜を検知できる。ラングミュア・トラフ法で長鎖カルボン酸の単分子膜を作製すると,SIMSの分析領域1μmφには約9×105個の分子が存在する。これだけの集合体にならないと,機器分析では物質を認識できないのである。これと比べて表面の微量成分に対してトライボロジーの感度は高いようである。すなわち分析では見つからない「何か」が潤滑に関与しているような現象がよく見られる。ただしこれはあくまでも推論であり,実証できないのが歯がゆい。

3. 表面分析がトライボロジストにとって強力なツールとなるために

オペレーターは装置内を高真空に保ち,試料表面上の最適位置に分析照準を合わせて,可能な限り分析コンディションを整えるために全神経を集中する。陰ではそのような努力がありながら,測定依頼者に見えるのはマウスをカチッとやってスペクトルを出す「簡単な」操作である。期待通りの成果が得られないと依頼者は不満を抱くことがある。それを防ぐための作戦を,筆者の経験と実例をとおして紹介する。

3.1 実験計画

トライボロジストが摩擦面を分析したくなる試料は,優れた特性を示したものかトラブルを招いたもののどちらかである。このうち後者は,異常摩耗か焼付きを起こしているだろうから表面の凹凸が大きくて表面分析は難しい。筆者はもっぱら低摩擦か,低摩耗を実現した潤滑剤で得られた試料を分析する。その際にまず境界潤滑膜構造の推定をする。トライボ化学の教科書*4や関連文献を調べていくつかの可能性を考えておく。この段階での脳作業が成功の秘訣である。

 

3.2 試料調製(摩擦試験)

分析には平滑面が好ましいので,分析試料となる試験片は平面形状がよい。曲面の試験片では,分析の照準合わせに極めて優れた技術が必要である。耐摩耗添加剤の摩擦試験は,やや軽荷重で長時間行う方が分析試料の作製には好都合のようである。摩擦面では,境界膜の生成(添加剤のトライボ化学反応)と境界膜の摩耗(せん断による破壊)が同時に進行しているので,標的物質の量を摩擦面上に蓄積するためである。試験後の試験片は精製溶剤で洗い流して潤滑剤や摩耗粉を除去する。試薬カタログに「液体クロマトグラフィー用」などの表記で区別されている蒸発残渣物(evaporation residue)が少ない溶剤がよい。摩擦面を綿棒で拭き取ることは,せっかく作製した試料を別の条件で摩擦することになるので要注意である。埃や摩耗粉を除去するには,パソコンショップなどで売っている缶入りのエアダスターが重宝する。

 

3.3 摩擦面の観察と分析

まず光学顕微鏡など低倍率で摩擦面全体を観察する。摩耗痕内部には研磨痕が残っている部分もあれば不本意な傷が見つかることもある。なるべく均一で平滑な部分を探し出して,SEMなどで倍率を上げて観察すると特徴的な表面形状が見つかることがある。ここを分析領域とする。さらに摩擦面外も分析してバックグランドとする。摩擦面と外をまたぐ領域の化学マッピング(ケミカルイメージ)を取得すればなおよい。この結果をふまえて別の分析法で摩擦面の情報を得ることは大変有意義である。その場合に分析感度は低いものから順に,分析領域は広いものから順に行うことが肝要である。すなわち,全体を見渡してから徐々に絞り込むのである。これは地図を読むことと似ている。見知らぬ土地に行くときには,まず広域地図でおおよその位置を確認し,目的地に近づいたら詳細図や市街図を頼るのと同じである。

 

3.4 分析結果の解析

スペクトル集やデータベースを参照しながら,摩擦面上に存在する物質を同定(あるいは推定)する。前述したようにたいていの摩擦面には複数の,しかも類似した物質が存在するので解析は容易ではない。特にスペクトルのピークが重なる場合には,コンピューター操作でカーブフィッティングを行うとよい。それでも解決しない場合には,推定物質の標準試料を混合した試料を分析してそのスペクトルと比較するとよい。解析もオペレーターから教えを請うのがいいが丸投げはいけない。

このように難行苦行の末,摩擦面上に存在する物質を特定できたとしても,それがトライボロジー特性の向上に寄与しているのか否かは,さらに踏み込んだ研究が必要である。これは,まさにトライボ化学の最先端なので今後の発展に期待したい。

 

3.5 分析事例

図2に示したように,炭化水素油にある種の添加剤を加えるとアルミニウム合金(主成分はAl とSi)の摩擦を顕著に下げる。これは,アルミニウム合金と添加剤のトライボ化学反応による効果だと推定して,直方体(アルミニウム合金)と円柱(スチール)を組み合わせた摩擦試験法で分析試料を調整した*5。光学顕微鏡で比較的平滑な部分を探してEPMAで化学マッピングを取得した。図3の中の明るい部分はSiが多く存在していることを示す。図3aでは摩擦面内部にSiが多く含有している。同じ試験片のAES分析では,摩擦面内外にSiはほとんど検出されない(図3b)。XPSスペクトルを見るとSi(金属)とSiOx(酸化物)が摩擦面上に混在していることが分かる(図4)。

摩擦試験結果(例)

図2 摩擦試験結果(例)
a)EPMA/摩擦面の化学マッピング(Si)
a)EPMA
Si濃度 摩耗痕内 20%
      摩耗痕外 4%
 
b)AES/摩擦面の化学マッピング(Si)
b)AES
Si濃度 摩耗痕内外とも検出限界以下
図3 摩擦面の化学マッピング(Si)
XPSスペクトル(Si 2p)

図4 XPSスペクトル(Si 2p)

このように,分析領域と化学分解能が異なる分析法をうまく組み合わせると摩擦による材料表面の組成変化がよく理解できる。すなわち,未摩擦面の最表面はAl で覆われ,その下地にはAl とSiが混在する。深さ1μmまでの領域では摩擦によってSi含有量が増加するが,最表面はAl に覆われたままである(図5)。ただしここまでの分析結果では添加剤の役割は分からない。また,摩擦面の1μmよりも深い部分の組成変化もこの分析結果だけでは分からない。このように,それぞれの分析手法の守備範囲をよくわきまえて分析結果を考察することが肝要である。

分析結果から推定した表面の組成

図5 分析結果から推定した表面の組成

おわりに

「表面分析をトライボロジーに役立てる秘訣はありますか」。読者諸賢にはすでにお分かりであろうが,以下の点に尽きると思う。

(1)潤滑剤・トライボ材料・摩擦条件を加味して表面の化学組成を推定する。
(2)分析サイズと化学分解能の異なる分析法を組み合わせる。
(3)有能なオペレーターと懇意になる。

日本トライボロジー学会では,定期的に講習会を開催して摩擦面の謎解きを支援しているので,こちらも是非ご参考いただきたい(http://www.tribology.jp/)。

 

〈参考文献〉
*1 日本表面学会編「表面分析図鑑」,共立出版,(1994)
*2 P.M.Cann, H.A.Spikes:"In Lubro Studies of Lubricants in EHD Contact Using FTIR Absorption Spectroscopy" Tribology Transactions, 34(2), 248-256(1991)
*3 F.P.Bowden, J.N.Gregory, D.Tabor:"Lubrication of metal Surfaces by Fatty Acids" Nature, 156, 97-101(1945)
*4 Z.Pawlak:"Tribochemistry of Lubricating Oils" in Tribology and Interface Engineering Series, 45 Elsevier, pp143-160(2003)
*5 I.Minami, A.Yamazaki, H.Nanao, S.Mori:“A cylinder and assembled four-block type tribo-test: Novel method to study tribo-chemistry of lubricant and material” Tribology Online, 2(1), 40-43(2007). 本論文は次のサイトから無料でダウンロードできる。
  http://www.jstage.jst.go.jp/article/trol/2/1/40/_pdf

新東科学
○新東科学
連続加重式引掻強度試験機
http://www.heidon.co.jp/

協和界面科学
○協和界面科学
摩擦摩耗解析装置,接触角計,表面張力計
http://www.face-kyowa.co.jp

エリオニクス
○エリオニクス
押し込み硬さ試験機,表面力測定装置,走査電子顕微鏡
http://www.elionix.co.jp/


○ブルカージャパン ナノ表面計測事業部
3次元光干渉粗さ計,原子間力顕微鏡システム,走査型プローブ顕微鏡
https://www.bruker-nano.jp/

Rtec-Instruments
○Rtec-Instruments
白色干渉計,スクラッチ&マイクロインデンテーション試験機など
https://rtec-japan.com/

最終更新日:2024年11月25日