「潤滑油に関わる機器分析による実用」 2007/10
1. 潤滑油の組成分析
1.1 潤滑油の分析に用いる主な分析手法
基油や添加剤を分析する手法として赤外分光分析(IR:Infrared Spectroscopy),核磁気共鳴分析(NMR:Nuclear Magnetic Resonance),質量分析(MS:Mass Spectrometry),高速液体クロマトグラフ法(HPLC:High Performance Liquid Chromatography),ゲルパーミエイションクロマトグラフ法(GPC:Gel Permeation Chromatography)などがある。これら手法は分析の目的にあわせて使い分けることが必要である。
以下に各分析方法の特徴を簡単に示す。
(1)IR分析*1
物質に赤外線を照射し,その吸収を観察することで試料の定量・定性を行う分析手法である。化合物を構成している分子中の原子は,分子内で固有の振動をしている。分子内で結合する原子間の距離が変わる伸縮振動や角度が変わる変角振動などの振動で,これらの固有振動は同じ周波数の赤外線を吸収する。照射した赤外線の周波数(一般にはその逆数となる波数〈cm-1:カイザー〉が用いられる)に対する吸収パターンを示したものがIRスペクトルで,物質の定性に用いられる。
また,特定の吸収に着目しその強度を測定することで物質の定量を行うこともできる。なお,近年は市販のデータベースが充実しているので,これらと照会することで化合物の定性が簡単にできるようになった(写真1)。
写真1 IR装置の外観 |
(2)NMR分析
水素核(1H),炭素核(13C),リン核(31P)など,原子番号と質量数がともに偶数でない原子核は,小さな磁石とみなすことができる。磁石(原子核)に対して磁場をかけると磁石(原子核)はコマのようなミソすり運動(歳差運動)をする。この原子核の歳差運動の周波数はその原子の化学結合状態(構造)などによってわずかに変化する。NMRはこの変化(化学シフト)から化合物の構造を詳細に分析する手法である。特に13C NMR法*2は炭素の分子骨格を非常に詳細に,しかも定量的に解析することができるため,ポリマーやエステル化合物といった炭化水素を主体とする化合物の分析に有効である。
また31P NMR法*3,*4は,リン化合物についてリン原子の化学的環境の違いを化学シフト値の差として観測できることから,リン系添加剤のタイプを明瞭に識別することができる。さらに,この方法は潤滑油に含まれる鉱油や他の添加剤の影響を受けずに油中のリン添加剤のみを高感度で直接観測でき,分離操作を必要としないことから迅速性にも優れている(写真2)。
写真2 NMR装置の外観 |
(3)MS分析*5
高電圧をかけた真空中で試料をイオン化すると,静電力によって試料は装置内を飛行する。飛行しているイオンを電気的あるいは磁気的な作用などにより質量電荷比〔質量(m)と電荷(z〈通常は1〉)の比:m/z〕に応じて分離し検出することで,化合物の質量を把握でき,化合物の質量電荷比を横軸,検出強度を縦軸とするマススペクトルを得ることができる。
イオン化する方法は種々あるが,基油や添加剤の分析には難揮発性物質に適応でき,ソフトなイオン化で分子イオン主体のスペクトルが観測される電解脱離イオン化(FD:Field Desorption)が,また,有機酸などの高極性物の分析では,高速原子衝撃イオン化(FAB:Fast Atom Bombardment)が有効である(写真3)。
写真3 MS装置の外観 |
(4)HPLC法*6
カラムクロマトグラフィーの一種であり,機械的に高圧をかけた液体によって化合物をカラムに通し,固定相により化合物を分離する方法である。近年,固定相の開発が進み,固定相と移動相の組み合わせによる分離技術が飛躍的に向上し,多くの添加剤の分析に適用できるようになった。HPLCには以下の利点がある。
○操作が簡単で煩雑な分離作業を必要とせずに潤滑油中の添加剤を直接または簡単な前処理で分析できる。
○新油,使用油を問わず分析できる。
○迅速性,定量性に優れている。
以上の点から,潤滑油全般の添加剤分析に活用されている(写真4)。
写真4 HPLC装置の外観 |
(5)GPC分析
HPLCの一種で分子の大きさ(分子サイズ)で分離する手法である。基油や粘度指数向上剤,無灰系分散剤などの平均分子量や分子量分布などを把握する手法である。
1.2 基油,添加剤の分離方法
潤滑油にはエンジン油,ギヤー油,作動油,軸受油など様々な油種がある。それらの油種は,機械に合わせて様々な要求性能や品質規格が定められている。こうした潤滑油の実用性能は,基油に様々な化合物(添加剤)を添加することで満たされている。
潤滑油に用いられる一般的な添加剤の使用目的を表1に,添加剤の使用例を表2に示す。
表1 潤滑油添加剤の種類と使用目的
|
表2 添加剤の使用例
|
油種によっては10種類以上の添加剤が用いられている場合もあり,これらの化合物を詳細に分析するためには,添加剤成分を可能な限り単離する分離手法がポイントとなる。基本的なスキームを図1に示す。
図1 潤滑油添加剤の分離方法 |
まず,分子量の差を利用して化合物を分離するゴム膜透析を行い,潤滑油に含まれる高分子量成分(粘度指数向上剤や低温流動性向上剤など)やコロイド状石けん化合物(清浄分散剤など)などをゴム膜中に捕集する。このゴム膜残分は酸により金属系清浄剤を有機酸(スルホン酸,カルボン酸など)と無機塩に加水分解し,生成した有機酸を酸で分解されない有機物とともにヘキサンなどの有機溶媒で抽出する。抽出された成分はさらにカラムクロマト分別などでさらに細かく分離する。また,粘度指数向上剤と無灰分散剤はGPCにより分子量で分離することができる。
一方,基油や酸化防止剤などの低分子量の添加剤はゴム膜を通過する。この透析分はシリカゲルクロマト分別で分離する。これは有機化合物がシリカゲルと接触するときに,その固体表面の生じる吸着親和力(極性)の差により分離する方法で,溶出させる溶媒で濃縮される成分が異なる(表3)。これら分離した成分を赤外分光光度計などにより分析を行う。
表3 各溶媒に濃縮される成分(一例)
|
1.3 構造解析法と分析事例
(1)基油の分析
基油は石油成分である鉱油と化学合成した合成油に分類でき,さらに合成油はエステル系とポリ-α-オレフィン系(以下PAO)に分類できる。これら基油のタイプを簡便に分析するにはIR分析が有効である。図2に鉱油,図3にエステル系基油のIRスペクトルを示す。
図2 鉱油のIRスペクトル |
図3 エステル油のIRスペクトル |
鉱油の場合は炭化水素のみの化合物であり,官能基が無いため非常に単純なスペクトルとなる。
一方,エステル油の場合はエステル基(-COO-)に由来する特徴的なピークが1740cm-1付近に検出されるため,簡単に識別することができる。
しかし,鉱油と合成油の一つであるPAOはいずれも炭化水素で官能基を持たないことからIRスペクトルはほとんど同じになり,IR分析で識別することは困難である。鉱油とPAOを識別するには,質量分析を用いると簡単に識別できる。図4に鉱油,図5に代表的なPAOであるデセンオリゴマーのマススペクトルを示す。
図4 鉱油のマススペクトル |
図5 デセンオリゴマーのマススペクトル |
鉱油は様々な質量数の異なる炭化水素の集合物であるため,ピーク群として検出されているのに対し,デセンオリゴマーの場合は重合したデセンの数(図5中のnに対応)に応じて140間隔でピークが検出される。このパターンを把握することによりIR分析では判別が困難な鉱油とPAOの識別ができる。
また,鉱油の場合,質量数からパラフィン系かナフテン系かの判別ができ,さらに分布パターンから粘度グレードを大まかに把握することができる。ちなみに図に示した鉱油はナフテン系でSAE10相当のものである。
エステル基油の詳細構造は13C NMR分析を実施することで把握することができる。
図6に市販のエステル基油の13C NMRスペクトルを示す。検出されたピークはそれぞれ(A)~(H),1~4のように帰属され,このエステル基油はアゼライン酸と2-エチルヘキシルアルコールのジエステルであることが分かった。
図6 市販エステル基油の13C NMRスペクトル |
(2)添加剤の分析
1.酸化防止剤
ガソリンエンジン油や作動油など多くの潤滑油には,ラジカル捕捉型のヒンダードフェノールタイプや芳香族アミンタイプの酸化防止剤が添加されている。市販の潤滑油のベンゼン溶出分はIR分析により,フェノール系および芳香族アミン系の酸化防止剤の存在が確認された。これらの化合物は質量分析(FDイオン化法)を実施すると化合物を特定できる。マススペクトルを図7に示す。
図7 市販エステル基油のマススペクトル(FDイオン化法) |
これらはアルキル基の異なるアルキルジフェニルアミンとn-オクタデシル-3-(3',5'-ジターシャリーブチル-4'-ヒドロキシフェニル)-プロピオネートである。
2.金属系清浄剤
金属系清浄剤にはスルホネート,サリシレート,フェネートなどがある。質量分析法による分析ではスルホネート,サリシレートと言った添加剤の種別をはじめ,分子構造の特徴から,場合によっては製造したメーカーの特定までできることがある。
図8に市販の潤滑油のゴム膜残分について酸分解を行い,有機酸に加水分解した成分の質量分析(負イオン検出-FABイオン化法)結果を示す。C14H29,C16H33,C18H37のアルキル基を持つサリチル酸が検出されたことから,この潤滑油にはサリシレートが添加されていることが分かる。
図8 市販の潤滑油から抽出したサリシレートのマススペクトル |
3.無灰分散剤の分析
無灰分散剤の中で現在最も広く使用されているのがポリブテニルコハク酸イミドである。
ポリブテニルコハク酸イミドは,ポリブテニルコハク酸無水物と各種ポリアミンとの反応によって合成されるため,親水基(アミン部)の部分構造は一定ではなく,様々な種類が存在する。
八木下氏らが確立した15N NMRおよび各種2次元NMRを併用した手法*7では,ポリブテンとコハク酸の結合部位,およびポリアミン部の構造を詳細に解析することができ,その結果から使用した原料ポリブテンおよびポリアミンの推定も可能となっている。
4.粘度指数向上剤
いわゆるマルチグレード潤滑油には粘度指数向上剤として必ずポリメタクリレートやポリオレフィンなどのポリマーが添加されている。これらは13C
NMR分析を実施することで詳細な分子構造が把握できる。
図9に市販のポリメタクリレートの13C NMRスペクトルを示す。ポリメタクリレートのR基(アルコール側のアルキル基)は通常は1種類だけではなく,各種のアルキルメタクリレートの共重合であるため,数種類のR基が存在している。図9中のa~lで表したピークはポリメタクリレートのR基に帰属される炭素であり,その化学シフトからこのポリメタクリレートのR基はC1,C4,C6以上で構成されており,その組成はピーク強度をもとにC1:15mol%,C4:30mol%,C6以上:55mol%と算出することができる。
図9 市販ポリメタクリレートの13C NMRスペクトル |
また,このポリメタクリレートのGPCクロマトグラムを図10に示す。重量平均分子量(Mw)はおよそ67万であった。
図10 市販ポリメタクリレートのGPCクロマトグラム |
5.ジアルキルジチオリン酸亜鉛(ZnDTP)
ZnDTPは古くから酸化防止剤,極圧剤として用いられており,特にエンジン油では必須の添加剤である。ZnDTPの性能は結合しているアルキル基の炭素数やタイプに依存するため,アルキル基の種類の同定および組成比を明らかにすることは重要である。そこで,HPLCを用いて,ZnDTPを誘導体化し,UV検出器での高感度化を図り,ZnDTPの構造の詳細を明らかにできる迅速,高精度な分析法を開発した*8,*9。
図11に市販ガソリンエンジン油を分析したクロマトグラムを示す。使用されているZnDTPはSec型のC3とC6のケミカルミックスチャー型であることが分かった。
図11 市販エンジン油のHPLCクロマトグラム |
6.リン添加剤の分析
極圧剤あるいは酸化防止剤として広く使用されるリン化合物の分析には31P NMR法*3,*4が有効である。
図12にリン化合物タイプと31P NMR法から得られる化学シフト領域との関係を示す。リン原子は基油や他の添加剤成分に妨害されることがないため,濃縮することなく試料をそのまま測定することで迅速にリン添加剤のタイプを分析することができる。
図12 31P NMRの化学シフトとリン化合物のタイプ |
7.油性剤の分析
金属圧延油は脂肪酸エステル,アルコール,油脂などの油性剤が添加されている代表的な油種である。これらの油性剤は,製品の表面品質や圧延速度など生産性に大きく影響する。そのため,使用油の油性剤濃度を管理することが重要である。
油性剤のエステルとしてジオクチルアジペート,ジノニルアジペート,ブチルパルミテート,ブチルステアレートを添加した試料のHPLCクロマトグラムを図13に示す。ジオクチルアジペート,ジノニルアジペート,ブチルパルミテート,ブチルステアレートが完全に分離でき,定量することができる。なお,ジオクチルアジペートは環境ホルモンの疑いがあるため,安全性の高い成分に置き換えられている。
図13 市販エンジン油のHPLCクロマトグラム |
1.4 混入成分の分析
潤滑油に他油種が混入すると,粘度変化や汚染により機械の不良や製品の仕上がりに影響を及ぼすため,使用油を管理することは重要となる。
GPCを用いた混入油の分析事例を紹介する。図14に金属圧延使用油のGPCクロマトグラムを示す。混入が予想される周辺機械油のクロマトグラムとの比較から,混入油は油圧作動油およびミスト油と特定され,またクロマトグラムの面積値から混入量が定量できる。
図14 金属圧延油使用油のGPCクロマトグラム |
2. 潤滑油部位の表面分析
2.1 表面分析に用いる主な手法
現在,表面分析手法としては,オージェ電子分光法(AES:Auger Electron Spectroscopy),2次イオン質量分析法(SIMS:Secondary Ion Mass Spectrometry),X線光電子分光法(XPS:X-ray Photoelectron Spectroscopy),電子線マイクロ分析法(EPMA:Electron Probe Micro Analysis)などが挙げられる。
このほかに,元素の種類と量,化学結合状態に関する情報は得られないものの,試料表面の原子1個1個の配列まで観察できる走査型トンネル顕微鏡(STM:Scanning Tunneling Microscope)や原子間力顕微鏡(AFM:Atomic Force Microscope)なども挙げられる。これらのうち分析深さが比較的深いEPMA,極表面の分析が可能なXPS,および原子レベルの分解能を持つAFMについて原理,特徴および応用例を示す。
(1)EPMA分析
固体試料に電子線を照射すると特性X線,二次電子,反射電子などが試料表面から発生する*10。特性X線は深さ数μmの領域から発生し,そのX線のエネルギーは元素固有の値であるため,試料を構成する元素の種類の特定すなわち定性分析(元素分析)が可能である。さらに,特性X線の強度から試料表面の定量分析も可能である。分析可能な元素はベリリウム(Be)~ウラン(U)であり,検出下限は10ppmオーダーである(表4)。
表4 表面分析手法の特徴
|
一方,二次電子は試料表面の形態観察,定性または定量分析を行う位置の選定のために,また反射電子は分析位置周辺の相対的な組成の変化を知るためにそれぞれ利用される(図15)。
図15 EPMAの原理図*11 |
電子線は電子レンズを用いて容易に微小化することができるので,試料表面の微小領域における定性,定量分析が可能であり,それがEPMAの特徴である。電子ビーム径は約1μmまで絞ることができる。さらに試料上の特定領域で電子線を走査し,発生した特定元素の特定X線の強度変化を調べることにより,特定領域における元素濃度分布を画像化する面分析と呼ばれる手法もあり,特定元素の特性X線強度変化(濃度変化)に対応したX線像が得られる(図16)。
図16 石油精製用触媒(使用品)のバナジウムVのX線像 |
また,二次電子の発生量は試料の表面形状に支配されるので,その発生量の分布を調べることにより表面形状を反映した画像(二次電子像)が得られる。さらに,反射電子の信号強度は構成元素の原子番号に応じて変化するので二次電子像と同様な画像(反射電子像)が得られ,原子番号が大きい個所ほど明るく表示され,分析位置周辺の相対的な組成変化を知ることができる(写真5)。
写真5 EPMA装置の外観 |
EPMAの応用例:リング状金属部品のさび発生原因究明
リング状の金属部品(写真6)の内側にさびが発生した。さび発生原因の究明のためにEPMA分析実施した。分析には金属部品からさびの部分を切り出し,溶剤により付着油分を除去したものを用いた。
写真6 リング状部品の外観 |
図17にさび部分の二次電子像と反射電子像を示す。二次電子像では腐食(さび)時特有の粒子状の凹凸形状が観察された。反射電子像では,さび発生部とその周囲の明暗が顕著になった。これは金属材料表面の酸化で,軽元素リッチな部分が生成し,その部分が暗視野として観察された結果である。
図17 さび部分の二次電子像および反射電子像 |
表5にさび部と正常部の定性分析結果示し,図18にさび部の元素濃度マップを示す。図17の反射電子像で軽元素リッチな部分は酸素(O)が高濃度で分布しており,さび(酸化物)発生部であることが確認された。このさび部には,硫黄(S)および塩素(Cl)が分布していることから,硫黄化合物,塩素化合物などが引き金になってさびが生成されたものであることが分かった。なお,さび部の表面は粗となるため,潤滑油由来の炭素(C)が検出される傾向にあり,本分析でも炭素が高濃度で分布していた。
表5 定性分析結果
単位:cps
|
図18 さび部の元素濃度マップ |
(2)XPS分析
固体試料にX線を照射すると,深さ数nmの表面近傍で励起された光電子が表面から放出される。光電子の運動エネルギー値を測定し,それを結合エネルギー値に変換することにより,結合エネルギー値を横軸,光電子の強度を縦軸とするXPSスペクトルが得られる*12,*13,*14。結合エネルギー値は元素固有のエネルギー値(例えばアルミ(Al)の場合Al2s,Al2pなど)に一致するので,表面の定性分析(元素分析)に利用でき〔図19-(1)〕,さらに光電子のピーク強度から表面の定量分析も可能である。
(1)ワイドスペクトル |
(2)Al2pスペクトル |
図19 XPSスペクトルの一例(試料:Al板)
|
なお,分析可能な元素はリチウム(Li)~ウラン(U)であり,検出下限は0.1%である(表4)。また,光電子の結合エネルギー値は,同一元素でも化学結合状態の違いにより変化(化学シフト)する。
したがって,この化学シフトを調べることにより化学結合状態に関する情報が得られる〔図19-(2)〕。Alを例にとると,金属状態のAlか,酸化状態のAlかを区別することができる。
さらに,アルゴンなどの希ガスイオンを試料表面に照射(スパッタリング)し,表面を削りながら,元素,組成または化学結合状態の深さ方向に対する変化を測定することも可能である。
XPSの励起源に使用するX線は電子やイオンと異なり,ビームを絞ることが非常に難しく,微小領域の分析には適用できなかった。そのため,分析面積はこれまで数mmφと大きなものであった。しかし,技術の進歩により現在では10μmオーダーの微小領域の分析が可能となり,さらに,固体表面のイメージングもできるようになった。XPSによるイメージングはEPMAによるX線像とは異なり,元素の種類や量の違いの分布に関する情報が得られるばかりでなく,「化学結合状態の違い」の分布に関する情報も得られ,これが大きな特徴となっている(写真7)。
写真7 XPS装置の外観 |
XPSの分析例:スラストベアリング転動面の分析
スラストベアリング(SUJ-2製)のユニスチール試験(イギリス石油学会法:IP305)(図20)を行った結果,ベースオイルに焼付き防止剤(ポリサルファイド:R1-(S-S)n-R2)を添加することにより,転がり疲労寿命がベースオイルのみのときに比べて10倍長くなることが分かった。そこで,スラストベアリングの転がり疲労寿命に及ぼす焼付き防止剤の添加効果を調べるために,ユニスチール試験後のスラストベアリングの1mmほどの転動面(写真8)について,焼付き防止剤「なし」および「あり」の場合のXPS測定を分析面積0.3mm×0.7mmで行い,Fe2p,S2pおよびO1sのスペクトルを得た。
図20 ユニスチール試験の模式図*11 |
全体像
|
拡大像
|
|
写真8 スラストベアリングの光学顕微鏡写真
|
Fe2pスペクトルにおいて,両試料ともFe-Oおよび/またはFe-S結合とFe-Fe結合によるピークが観測され,焼付き防止剤「なし」ではAr+スパッタリング時間20min以降でFe-Fe結合が主体となったのに対し,焼付き防止剤「あり」では30minでもFe-Oおよび/またはFe-S結合のピークの比率が高かった(図21)。
(1)焼付防止剤なし |
(2)焼付き防止剤あり |
図21 スラストベアリングの転動面におけるFe2pスペクトル
|
一方,S2pスペクトルは,焼付き防止剤「なし」でS化合物によるピークがほとんど観測されなかったのに対し,焼付き防止剤「あり」ではS-S結合およびS-金属結合によるピークが観測された(図22)。また,O濃度を計算すると,焼付き防止剤「なし」が45atomic%,「あり」が43atomic%であり,ほとんど差は認められなかった。したがって焼付き防止剤添加によりベアリング表面に硫化鉄皮膜が生成したと考えられる
(1)焼付防止剤なし |
(2)焼付き防止剤あり |
図22 スラストベアリングの転動面におけるS2pスペクトル
|
以上の結果から,ベースオイルに焼付き防止剤を添加することによりベアリング表面に硫化鉄の皮膜が形成されるため,転がり疲労寿命が長くなると考えられる。
(3)AFM分析
鋭く尖った金属製の深針を試料表面から1nm以内の極至近距離まで近づけると,深針と試料の間に原子間力が働く*15。深針を試料表面上で走査させたときの原子間力の変化を検出することにより(図23),試料表面の凹凸の像すなわちAFM像が得られる。(図24)。深針はカンチレバーと呼ばれる小さなてこの先端に付けられ,原子間力はカンチレバーを通して検出される。
図23 AFMの原理図*11
|
図24 AFM像の一例(雲母)*11
|
主な原子間力の検出法には,接触モードおよびタッピングモードがある。接触モードは表面が硬い試料の測定に適したものであり,深針を試料表面に接触させ試料表面に沿って走査し,表面の凹凸に応じたカンチレバーの「反り」または「たわみ」をレーザー光で計測することにより,AFM像を得ることができる。
一方,表面が柔らかい試料の測定に適したタッピングモードでは,一定周波数で振動するカンチレバーの振幅が深針が試料から離れているときと,接触しているときとで変化することを利用して,振幅の変化量をレーザー光で計測することで,AFM像を得るものである。
AFMの分析例:アルミ箔表面の微細構造解析
家庭用アルミ箔の表面をAFMで観察すると,肉眼では平滑に見える表面も,凹凸が多いことが分かる(図25)。アルミ箔の表面では,圧延ロールの転写である深さ,幅とも約0.1μmの加工傷が圧延方向に沿って多数発生している。また,オイルピットと呼ばれる深さ約1μmのくぼみも圧延方向に対して垂直に多数認められた。
図25 家庭用アルミ箔表面のAFM像
|
ところで,アルミ箔表面の光沢度は圧延条件により異なり,光の乱反射の原因になりやすいオイルピットに関係していると考えられている*16。そこで,圧延油粘度,圧延速度を変えて実験的に圧延したアルミ箔表面のAFM像から,光沢度とオイルピットの関係を調べた。なお,低粘度で,低速度圧延すると光沢度の良好なアルミ箔が得られることが分かっている*17。
各種圧延条件で得たアルミ箔のAFM像を比較した結果,圧延速度が一定(50m/min)のとき,低粘度圧延油使用品(2mm2/s)に比べ高粘度圧延油使用品(30mm2/s)はオイルピットが多数発生していることが分かった(図26)。
低粘度圧延油使用 |
高粘度圧延油使用 |
図26 圧延速度一定で圧延したアルミ箔表面のAFM像
|
また,圧延油粘度を一定(30mm2/s)としたときは,低速圧延品(50m/min)に比べ高速圧延品(200m/min)ではオイルピットが大きく,しかも深く圧延前に存在していた加工傷が目立たないほどであった(図27)。
低速圧延 |
高速圧延 |
図27 圧延油粘度一定で圧延したアルミ箔表面のAFM像
|
以上の結果から,光沢度が良好なアルミ箔ではオイルピットが少ないことが分かった*17。したがって,低粘度で,低速度圧延することにより,オイルピットの発生が抑制され,その結果,光沢度が良好となったと考えられる。
<参考文献>
*1 泉 美治他,“機器分析のてびき(1)”,増補改訂版,化学同人(1991)p.1
*2 泉 美治他,“機器分析のてびき(1)”,増補改訂版,化学同人(1991)p.41
*3 八木下和宏,斉藤恒夫,岩谷久明,日石レビュー,33(3)20(1991)
*4 八木下和宏,石油製品討論会講演要旨集 80(1994)
*5 泉 美治他,“機器分析のてびき(1)”,増補改訂版,化学同人(1991)p.63
*6 泉 美治他,“機器分析のてびき(2)”,増補改訂版,化学同人(1991)p.25
*7 八木下和宏,松山陽子,黒澤 修,五十嵐仁一,加賀谷峰夫,日本トライボロジー学会予稿集,98 秋2C2(1998)
*8 重国博之,清水 優,日石レビュー,33(4)12(1991)
*9 日本石油,特開,平成10-19870
*10 日本表面化学会編,“電子線のプローブ・マイクロアナライザー”,丸善株式会社(1998)
*11 岩波睦修,大久保高樹,日石三菱レビュー,41(3)26(1999)
*12 広川吉之助,表面,18(1),5(1980)
*13 D.Briggs,M.P.Seah,“Augerand X-ray Photoelectron Spectroscopy(Practical Surface Analysis Vol 1)”,2nd Edition,Jhon Wiley & Sons Inc.,(1990)
*14 伊藤秋夫,表面科学,15(1),16(1994)
*15 森田清三,“原子間力顕微鏡のすべて”,工業調査会(1995)
*16 大貫輝ら,トライボロジスト,35(12),845(1990)
*17 佐藤克行,柴田潤一,小高良輝,石油学会誌,42(2),120(1999)
*18 佐藤克行,柴田潤一,小高良輝,石油学会誌,42(3)(1999)