さびの発生は,金属部品として使用できなくなること,美観を損ない商品価値を落とすことなどの経済的な損失とともに,思わぬ事故や災害の原因となることもある。種々の防食法から被覆することで防錆する処理法に的を絞り,この防錆処理法で用いる防錆剤の種類とその特徴について解説する。
はじめに
さびの発生は,金属部品として使用できなくなること,美観を損ない商品価値を落とすことなどの経済的な損失とともに,思わぬ事故や災害の原因となることもある。鉄がさびることに関する我々の問題意識は,高度経済成長時の「鉄がさびる!しかたがない」といった考え方から,最近の経済状況を反映して「防錆処理に多少の手をかけても,さびを防いで歩留まりを上げ,無駄をなくす」といった意識へ変わりつつある。
このような背景の中,本稿では種々の防食法から被覆することで防錆する処理法に的を絞り,この防錆処理法で用いる防錆剤の種類とその特徴について解説する。
1. さびの概念
金属は金を例外としてほとんどの金属が何らかの化合物として産出されている。例えば鉄は磁鉄鉱,褐鉄鋼などの鉄鉱石の形で存在している。このような形で存在することは多く知られており,天然に存在する安定な形とは金属が酸化された状態であると言える。この安定な状態である酸化物(鉄鉱石)にエネルギーを与えて金属を単離している。これを精錬といい,鉄の場合は鉄鉱石を精錬して鉄を得ている。この得られた鉄は自然界では準安定な状態(メターステーブル)であることから,元の酸化された安定な状態(酸化鉄,さび)に向かい,進んでいく。実際に精錬された鉄を自然界に放置すると,空気中の湿気や雨から供給される水分と空気中に多量に含まれる酸素により酸化され水酸化第一鉄に変化する。水酸化第一鉄は非常に酸化されやすく,直ちに水酸化第二鉄に酸化される。この化合物は結晶水を持つ酸化鉄,いわゆる赤さびである。これを反応式で表すと次のようになる。
Fe+H2O+1/2O2 → Fe(OH)2……(1)式
2Fe(OH)2+H2O+1/2O2 → 2Fe(OH)3……(2)式
2Fe(OH)3 → Fe2O3・3H2O……(3)式(いわゆる赤さび)
この反応式より明らかなように,空気中において鉄をさびから防ぐには,水および酸素を排除すれば良いこととなる。
2. さびの発生を防ぐには
前述のとおり,さびの発生を防ぐには,水および酸素をいかに遮断するか,にかかっている。金属面をこれらの環境から遮断するための被覆*1技術には,金属被覆(各種メッキ),無機被覆(各種化成処理,ガラス,コンクリート,セラミックスなど)および有機被覆(さび止め油,塗料,ゴム,プラスチックス)の3種に大別されている。また,直接的な被覆処理と比較して,直接さびを防ぐわけではないがその効果は被覆処理による防錆期間の延長につながる処理方法がある。これは,防錆処理にかかる前の段階である,いわゆる「前処理」であり,この良し悪しによって,その後の防錆期間が決まると言っても過言ではない。一例として,機械部品製造現場における切削・研削行程でのさび発生問題を示す。切削・研削直後の金属部品には,表面に塩化物や硫酸塩など,種々の腐食因子が残存している。この状態で次行程の防錆処理を実施した場合,表面に存在する腐食因子により期待した期間,さびの発生を防ぐことは不可能で,多くの問題を誘発する。したがって,表面に残存している腐食因子を適切な前処理法(洗浄法)で除去する必要があり,これにより初めて期待すべき期間以上のさび発生防止が可能となる。*2
以上,さび発生防止法について簡単に紹介したが,ここではこれらのさび発生防止法のうち,被覆による防錆処理に用いる防錆剤や防錆インヒビターを用いる場合について解説する。その他のさび発生防止法に上げられる「メッキや無機材料による被覆」および「水中,土中などで行われる腐食反応の制御」によるさび発生防止法に関わる防錆剤については,本稿では割愛させていただく。
3. 防錆剤の種類と特徴
JIS Z0303 さび止め包装方法通則*3では,鉄鋼を主とした金属製品のさび発生防止のために施すさび止め包装方法およびその試験法を定めている。ここでは,この通則を参考に防錆剤の種類やその特徴について解説する。その他,インヒビター,キレート化合物,吸着剤,有機ライニングなどの防錆材料についても若干の解説をする。
3.1 さび止め油
表1にさび止め油の種類とその特徴および用途を示す。さび止め油の規格はJIS K2246に指紋除去形,溶剤希釈形,ペトロラタム形,潤滑油形,気化性さび止め油の5形・15種類が規定されている*4。その他,JIS規格にすべて合致しないが,性能的には規格品に相当する湿潤試験性能を有するさび止め油がある。この規格外品はさび止め油の使用者と製造者間で共同開発し,実使用されている物などである。
表1 さび止め油の種類と特徴,用途*3
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さび止め油の最大の特徴は,その防錆期間は比較的短期間であるが,反面そのほとんどが液体(NP-6も加温して液化する)であり,さび止め処理を施す上ですき間部分など処理の難しい箇所であっても浸透し,さび止め油膜を形成できることと,その除去が容易であることが挙げられる。
3.2 さび止め剤
表2に,気化性,水溶性および気化性水溶性さび止め剤の種類とその用途および特徴を示した。気化性防錆剤には鉄鋼および鉄合金用と銅および銅合金用がある。鉄鋼用として代表的な物はジシクロヘキシルアンモニュームナイトライト(DICHAN),ジイソプロピルアンモニュームナイトライト(DIPAN)およびこれらの混合物がある。その他,ジシクロヘキシルアンモニュームのカプレート,ラウレート,カーボネートなどがある。銅用としてはベンゾトリアゾールおよびアルキルベンゾトリアゾールなどがある。水溶性および気化性水溶性さび止め剤には,アミン塩類,低級脂肪酸およびこれらの塩類がある。これらの詳細は,「潤滑経済」2009年5月号(No.524)「防錆剤の前処理清浄方法と水溶性防錆剤の動向」(p.12-14)および「気化性防錆剤の現状と今後の動向」(p.15-19)をご参照願いたい。
表2 気化性・水溶性・気化性水溶性さび止め剤の種類と用途および特徴*3
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3.3 さび止め紙およびさび止めフィルム
表3にさび止め紙およびさび止めフィルムの種類とその特徴を示す。これらの詳細は,「潤滑経済」2009年5月号(No.524)「防錆フィルムの動向」(p.20-21)および「防錆紙の動向」(p.22-31)をご参照願いたい。
表3 さび止め紙,さび止めフィルムの種類と特徴*3
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3.4 その他防錆材料
表4にその他防錆材料の種類とその用途および特徴を示した。
表4 その他防錆材料の種類と用途,特徴*3
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i )可剥性プラスチック*5
塗装形と熱間浸漬形がある。塗装形可剥性プラスチックは常温で吹き付けまたは刷毛塗りできる物で,有機溶剤タイプおよび水分散タイプなどがある。熱間浸漬形は,種類としてエチルセルローズ系とアセチルセルローズ系があり,150℃以上に加熱して塗布する。
ii)乾燥剤*6
乾燥剤は環境内の湿気(水分)低下によるさびの防止を目的としている。乾燥剤のうち最も多用されている物として「シリカゲル」がある。乾燥容量のある内は青,限界を超すと淡紅色に変色するコバルト(II)を含浸させた物が多方面で利用されている。
iii)脱酸素剤*6
脱酸素剤は密閉された空間内部の空気中にある酸素を固定してさび発生を防止する。工業的には強力な還元剤を用いるが,防錆材料としては安価で容易に用いることができる「鉄粉」が多く利用される。
iv)インヒビター(腐食抑制剤)*7
無機系インヒビターには,各種のクロム酸塩,亜硝酸塩,けい酸塩,ポリりん酸塩などがある。有機材料に用いる有機系インヒビターにはオレイン酸,ダイマー酸,ナフテン酸などのカルボン酸,カルボン酸金属石鹸(ラノリンCa,ナフテン酸Zn,酸化ワックスCa,Ba塩など),スルフォン酸塩(Na,Ca,Baスルフォネート),アミン塩,エステル(高級脂肪酸のグリセリンエステル,ソルビタンモノイソステアレート,ソルビタンモノオレートなど),その他最近では環境上利用されることが少ないが,りん酸エステルなどもある。これらのインヒビターはいずれも吸着力が高く,また,多重吸着膜を形成するなどしてさびの発生を防止する。
v)キレート化合物*7
鉄金属表面に錯塩を形成してさび発生を防止する。EDTA(エチランジアミンテトラ酢酸),グルコン酸,NTA(ニトリロトリ酢酸),HEDTA(ヒドロキシエチル,エチレンジアミン三酢酸),DTPA(ジエチレントリアミン五酢酸)などが使用されている。その他,オキシカルボン酸型キレート剤の代表としては,クエン酸ソーダが挙げられ,ボイラー,熱交換機などの洗浄剤としては,鉄さびを溶解する作用に優れるクエン酸二アンモニウム塩がある。
これら以外に鋼管の被覆処理に利用されるライニング処理剤(ポリエチレンライニングなど有機ライニングに用いる樹脂,ナイロン,ポリエチレン,エポキシ,ポリエーテルなど)や,吸着剤(ベントナイト,カオリン,酸性白土,活性白土,アルミナなど)の材料も防錆剤として使用されている。
以上,これらの材料についてその使用法などの詳細は,「さびを防ぐ事典」(産業調査会)などを参考にされたい。
4. 防錆剤の動向
1985年以降に生じた安全・環境対応問題は,オゾン層破壊,発がん性,PL(Product Liability:製造物責任)問題などが挙げられる。これらに対し,フロン規制,法律強化,PL法,MSDS(Material Safety Data Sheet:商品安全データシート),企業の自主規制などの対応が取られた。現在の大きな問題としては,地球温暖化,化学物質の管理および汚染管理(PRTR,ダイオキシン,環境ホルモン),GHS,REACHなどへの対応がある。
このような背景のもとに,各産業ともCO2廃出の自主規制をはじめとして化学物質の安全性評価法の強化を図り,新製品の開発に際しては,「危険性・安全性」を十分に考慮した環境対応商品に重点が置かれている。
以下では,防錆剤に関する化学物質の有害性および関連規則や環境影響などの現状について述べる。
4.1 防錆剤における法規制の現状
防錆剤は前述のように,油系ではベース成分の溶剤および潤滑油と,添加成分である防錆添加剤(気化性防錆剤),油膜調整剤,酸化防止剤,金属不活性化剤とからなっている。水系ではベース成分として水を使用するとともに,添加剤成分として乳化剤をはじめ,防錆添加剤,油膜調整剤,酸化防止剤,金属不活性化剤など,いずれの防錆剤も化学物質からなっており,これらの成分に対応した法規制の現状を示す。
油系に使用されている材料のうち,規制対象物質として考えられるものは,軽質溶剤中の芳香族化合物(ベンゼン,トルエン,キシレン,トリメチルベンゼンなど)がある。これら化合物のうちベンゼンは,労働安全衛生法の「特定化学物質等障害予防規則及び有機溶剤中毒予防規則」によりその含有量などに規制がある。また,これらの溶剤は揮発性の高い炭化水素類に相当し,その蒸留性状で5%留出点が150℃以下の場合は特に,大阪府では「大阪府生活環境の保全等に関する条例」(1994年11月1日施行)による炭化水素規制を受けることとなる*8。さらに,潤滑油留分の場合はその組成中のPCA(Poly Cyclic Aromatics:ベンゼン環を3環以上有する多環芳香族化合物で,代表例としてベンゾ(a)ピレン)があり,このPCAは発がん性物質として早くから認識されているが,国内に法律はなく,石油連盟,潤滑油協会にて指針を作成,OSHA,EUの両基準を採用し,発がん性基油について定義するにとどまっている*8。なお,米国NTP(National Toxicolgy Program:米国国家毒性プログラム)では,具体的PCA化合物名15種をリストアップしている*10。また,水溶性防錆剤に多く使用されるアルカノールアミンは,水系の防食剤として用いられる亜硝酸ソーダ(NaNO2)との混合により発がん性物質であるニトロソアミンを生成することがあるので注意を要する。
4.2 防錆剤における環境対応の現状
近年,有害物質の環境などへの影響については,問題が発生してからでなく事前に対策する必要性を考慮するため,PRTR(Pollutant Release and Transfer Register:環境汚染物質排出移動登録)制度が1999年7月に法制化された。その後の見直しにより,2008年11月21日に法令の改正が公布され,現行の第一種指定化学物質354種が462物質に増え,またこのうち特定第一種指定化学物質が12種から15種になった。第二種指定化学物質81種から100物質に増加した*11。
さび止め油では,亜鉛化合物,鉛化合物,ジフェニルアミンおよびDBPC(ともに酸化防止剤)などがあり,水溶性さび止め剤ではアジピン酸,エタノールアミンおよびモノエタノールアミン,エチレングリコール・モノエチルエーテル,トリメチルアミン,ノニルフェノール,ヘキサメチレンジアミン,ペンタエリスリトールなどが指定されている。
もう一つの化学物質問題である環境ホルモン物質(内分泌攪乱物質)であるが,「ノニルフェノールおよびその誘導体化合物のノニルフェノール・エトキシレートなど」は,水溶性さび止め剤の乳化剤として多用されている。その他,疑いのある物質として上げられているフタル酸エステルやアジピン酸エステルなども使用されることがある。
日本では,1998年5月に外因性内分泌攪乱化学物質(環境ホルモン)問題の基本的な考え方,対応方針をまとめ,「環境ホルモン戦略計画SPEED '98(Strategic Programs Environmental Endcorine Disruptors)」を発表した。同計画で提示された「内分泌攪乱作用を有すると疑われる化学物質」としては,当初67物質を示したが,2002年に見直しの結果,65物質をリストアップしている。その後,2004年9月にこのSPEED '98でリストアップされた物質について,国際共同研究を含めた研究活動が行われ,その結果を「環境ホルモン戦略計画SPEED '98取り組みの成果」として環境省より発表されている*12。
5. 防錆剤の今後の課題
このような背景をふまえ,防錆剤の開発は有害性および環境対応を十分に考慮した安全性の高い商品への対応が取られつつあるが,特に今後の防錆剤開発の動向は,現在にも増した安全性重視の設計思想での対応とともに,CO2削減の観点から,より省エネルギー対応型への期待が高まるものと言える。防錆剤油の基材関連では,安全・衛生・環境面を考慮し,第二種有機溶剤から第三種有機溶剤への使用溶剤変更は無論のこと,高引火点,低芳香族溶剤への移行が考えられる。また,基油は低PCA基油の使用が必然となる。さらに,防錆添加剤関連では,Ba系さび止め添加剤の規制動向には注意が必要で,欧州では規制対象物質となっており,日本でも規制となれば,Ba以外の金属系のさび止め添加剤を用いた処方への移行が考えられる。その他では,鉛系の添加剤はさび止め剤および潤滑性向上剤としても優れた物であり,多くの利点があるが,PRTR対象物質であることおよび有機鉛系合物の形態によっては強い毒性を考慮しなければならないこともあり,注意を要する。また,亜鉛化合物も同様にPRTR対象物質であることから,その使用に制限の生じる可能性が高い。
以上,防錆剤の安全・衛生および環境に対する現在の状況および今後の動向を示したが,特に環境面では今後の法制化により防錆剤処方に及ぼす影響も大きく,今後の行政の動向についても十分に注意することが必要と考える。
〈参考文献〉
*1 高橋教司;さびを防ぐ事典,産業調査会,P12,1981
*2 菅原常年,本山忠明;防錆管理 Vol.42,No,12,P421-425(1998)
*3 JIS Z0303 さび止め包装方法通則,2009
*4 JIS K2246 さび止め油,2008
*5 野村礼七郎;さびを防ぐ事典,産業調査会,P520-523,1981
*6 田原良明;さびを防ぐ事典,産業調査会,P524-525,1981
*7 間宮富士雄;さびを防ぐ事典,産業調査会,P512-514,1981
*8 石油連盟,潤滑油協会資料;潤滑油基油の発癌性解釈に関する指針,1997
*9 米国NTP(National Toxicolgy Program)作成資料,1998
*10 大阪府環境基本条例;大阪府生活環境の保全等に関する条例,1994
*11 経済産業省;化学物質排出把握管理促進法の政令改正について,2008
*12 環境省保健部;環境ホルモン戦略計画SPEED '98,取組の成果,2005