「固体潤滑性コーティング技術の動向―インピンジメント被膜の特性について―」 2009/6
はじめに
固体潤滑剤を活用する方法も色々と裾野が広がっているが,被膜化して利用する方法は歴史的には古い部類に入る。古くはグラファイトなどの潤滑性のある天然鉱物をパウダー状にして摺動面に散布,もしくはすり込んで使用する方法であったようである。シンプルではあるが今現在も一部の分野では変えがたい手法として脈々と受け継がれている。一般的には固体潤滑自体,認知度としては油やグリースに遠く及ばないが,ここ20年でだいぶ変わってきた印象を受ける。
そのような中で固体潤滑剤をより効果的に活用させるためには,そのトライボロジー特性を十二分に発揮させつつ,より長期間にわたりその特性が持続することが求められる。すり込んだり散布しただけではどうしても固体潤滑剤を長期にわたって運用するには無理があり,何らかの方法で摺動面に機能を損なうことなく保持することが求められた。一つのブレークスルーとして,結合材を用いて固体潤滑剤を被膜化して摺動面に接着させる手法が考案され,結合型固体被膜潤滑剤として現在に至っている。
結合型固体被膜潤滑剤は塗料型の潤滑剤であることから,はけ塗りやスプレーコーティングなど,塗布方法も塗料に準じた方式が採用されてきた。それぞれの塗布方法には一長一短があるが,近年では作業性や塗膜性能以外に環境負荷の少ない塗布方法を工夫する動きが強まっている。
そのような動向をふまえ,本稿の前半では塗布方法とトライボロジー特性との相関を,後半では結合型の固体被膜潤滑剤塗布法の中からインピンジメント法について概説する。
1. 結合型固体被膜潤滑法
固体潤滑剤を摺動部に適用する方法としてこれまで数多くの手法が提案され適材適所で活用されている。比較的応用範囲の広い手法から,ピンポイントですばらしい特性を示す方法など様々である。固体潤滑剤に求められる要求も時代の変遷とともに多岐にわたるようになってきている。
表1に代表的な固体潤滑剤を示した。およそ滑りやすい材料は何でも固体潤滑剤として利用可能とも言えるが,中でもグラファイト,二硫化モリブデン,PTFEは,トライボロジー特性とコストのバランスがよいことから工業的に広く利用されている。産業の高度化に伴い,固体潤滑剤に求められる要求も多岐にわたるようになってきている。摩擦係数を下げたい場合,一定にしたい場合,速度とともに変化させたい場合,寿命を延ばしたい場合,摩耗量を抑えたい場合など様々であるが,最近はトライボロジー特性とともに環境負荷の問題も重要になってきている。
表1 固体潤滑剤一覧
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結合型固体被膜潤滑法は,前述のように固体潤滑剤を摺動面に固定する方法として,結合材を用いて被膜状として摺動部に供する手法である。なじみのない方にとっては固体潤滑剤を添加した塗料と言った方がイメージしやすいかと思う。
主な構成は,結合材,固体潤滑剤,溶剤の3要素である。簡略化のために以下,結合型固体被膜潤滑剤を固体被膜潤滑剤と呼ぶこととする。表2に固体被膜潤滑剤に使われている代表的なバインダーをまとめた。大きくは有機系と無機系に分けることができるが,工業的には有機系の比率が高いと思われる。中でもポリアミドイミド樹脂,エポキシ樹脂などが代表的なものである。各要素の選択肢の幅は広く,また,その組み合わせや比率によって様々な特性が得られる。また,主要3要素以外に加える添加剤の種類によっても被膜の特性は変化する。
表2 代表的なバインダー樹脂
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近年,特にナノ技術の進展が著しいが,今後ナノマテリアルを主要素として,もしくは添加剤として活用することで新しい特性が導き出されることが期待される。西村らは固体被膜潤滑剤にカーボンナノチューブを添加することで,被膜の摩擦寿命が延びることを確認している。新規材料はコスト的な問題が障壁となることもあるが,コストと性能のバランスがとれて応用範囲が拡大することが期待される。
2. 固体被膜潤滑剤の処理法
固体被膜潤滑剤は塗料系の潤滑剤であることから塗布法により処理される。塗布方法としては浸漬法やスプレー法などが古くから採用されているが,近年では環境負荷を低減するため従来法以外の塗布方法が模索されている。印刷による方法はその代表的なもので,ピストンスカート部へのスクリーン印刷法などが一つの成功事例といえる。塗布法は単に塗布できればよいわけではなく,塗布被膜のトライボロジー特性と大いに相関する。
図1は塗布方法が摩擦特性に与える影響をファレックス試験にて比較したものである。ピン対ブイブロック方式のファレックス試験片をディッピング,タンブリング,スプレーの各方式で塗布し摩擦試験を行った。試験は表3に示した条件で実施した。ここで,ディッピング法は薬液に試験片を浸漬した後,試験片を静置して乾燥させた。タンブリング法は一度薬液に浸漬した試験片をバスケットの中で回転させながらさらにスプレー塗布する方法とした。スプレー法は試験片に15ミクロン塗布した。スプレー法以外の膜厚はあえて揃えることをせず,塗布方法由来の膜厚とした。膜厚の順列としては,おおよそディップ>スプレー>タンブリングの順である。図1より,スプレー法は摩擦係数が低く寿命が長いことがわかる。この点が固体被膜潤滑剤の塗布方法としてスプレー法が普及している理由の一つである。しかし,スプレー法は塗着効率が低いという欠点があり,工業的にはコストや量産性など別の観点も重要となって,ディッピング法やタンブリング法ならびに印刷法など様々な塗布法が適材適所で使い分けられているのが実状である。
今回は塗布法の単純比較を行うために組成を統一したが,工業的には各処理法における最適化のチューニングを行うことで処理法由来の長所や短所を調整する作業がなされる。
図1 トライボロジー特性に与える塗布法の影響 |
表3 FALEX実験条件
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3. インピンジメント法について
我々は,スプレー法やディッピング法と言った従来法とは異なる塗布法として,鋼球を活用したインピンジメント法について研究を進めてきた*1。インピンジメント法を簡単に説明すると,図2に示したように固体被膜潤滑剤で覆われた鋼球などを被塗物に投射し,固体被膜潤滑剤を転写する形で塗布する方法である。膜厚は投射条件にもよるが,おおよそ数ミクロンオーダーである。被膜の特徴としては以下のような点が挙げられる。
図2 インピンジメント処理概略図 |
(1)溶剤の含有量が少ないことから低VOCである
(2)摩擦初期から寿命に至るまで摩擦係数が低く安定する
(3)膜厚が薄いため,摩耗粉の発生量,寸法変化が少ない
(4)鋼球を打ち付けることによるピーニング効果が期待できる
(5)バインダーを含んでいるため耐食性がある
(6)塗膜成分はいわゆる固体被膜潤滑剤であるのでバインダーや固体潤滑剤種類や組成などの自由度があり,様々なバリエーションが可能である
(7)鋼球とともに固体潤滑剤を投射するため,低い噴射圧力でも高い衝突エネルギーが得られ,強靱な塗膜が得られる
(8)投射メディアは再生使用が可能である
以上のような特徴のある一方で,膜厚には制限があり,スプレー法と同等の膜厚は得にくい。したがって,摩擦寿命が膜厚依存性のある用途では適用が難しい一面がある。
4. インピンジメント被膜の摩擦摩耗特性
インピンジメント被膜のトライボロジー特性についてファレックスのLFW-1試験機にて評価した結果について紹介をしたい。リングオンブロック方式で一定荷重の元で摩擦係数が0.1になるまでの摩擦挙動と寿命を観察したものである。実験条件は表4に示した。摩擦係数の挙動を図3に示したが,実験開始時から低く安定していることがわかる。定量的な評価は行っていないが摩耗粉の発生量はスプレー法と比較して明らかに少ない。その一方で,同組成の被膜をスプレーコーティングして試験した結果と比較すると寿命はスプレーコーティングの方が約3倍であった。今回は膜厚を揃えての実験は行っていないが,寿命に関しては膜厚の影響が大きかったものと考えられる。ただし同組成であるにもかかわらずインピンジメント被膜の方が摩擦初期に摩擦係数が低く振幅も小さい傾向がある。
表4 LFW-1実験条件
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図3 インピンジメント被膜のトライボロジー特性 |
5. インピンジメント被膜の初期なじみ効果
固体被膜潤滑剤を初期なじみとして使用する場合は,被膜は運転初期段階で摩耗して消滅する。換言するとその段階で表面の微少突起を削ったりつぶしたりしながらなじみ面を形成する。そのような用途ではインピンジメント被膜の効果が期待できることから,ローラーピッチング試験にて検証を行った結果を次に紹介したい。
固体被膜潤滑剤の用途を大別すると固体被膜潤滑剤のみで潤滑する乾燥潤滑と潤滑油と併用する方法がある。さらに潤滑油と併用する場合にも初期なじみとして利用する場合やかじり防止として利用する方法など様々な適用法がある。ローラーピッチング試験はころがり滑り摩擦条件下における耐ピッチング強度を評価するものである。ピッチングは微少な表面損傷などが起点となり疲労破壊につながる表面起点剥離型や内部欠陥などが起点となる内部亀裂型などがある。特に表面起点剥離の場合,油膜形成が不十分な場合や表面粗さが大きすぎることなどが原因となる。固体被膜潤滑剤はころがり滑り接触下の摺動初期段階において金属接触を防止するとともに初期なじみ効果によって,表面の突起を削ることによる接触面圧の低減に寄与すると考えられる。図4はローラーピッチング試験機でインピンジメント被膜のピッチング強度を調べたものである。比較としては未処理材を試験した。比較材との違いはインピンジメント処理工程を追加してあるかどうかだけである。グラフから明らかなようにインピンジメント処理したものは,未処理材と比較して約5.6倍以上の寿命があり,初期なじみに対しては有効であることがわかった。
図4 インピンジメント被膜の耐ピッチング特性 |
表5 ローラーピッチング試験実験条件
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6. 固体被膜潤滑剤の今後
本稿では環境負荷低減という流れの中で,塗布方法に着目したが,環境ならびに人体に対するやさしさという観点から,塗布法以外にも原材料の選択なども今後ますます重要な要件になると思われる。特に安全面から使用制限される材料が今後も増えることが予想される。その一方で,産業の高度化に伴い,固体被膜潤滑剤にはより高い性能が要求されると考えられる。今後の固体被膜潤滑剤は潤滑性能と環境安全性を両立して,いかにユーザーニーズに応えられるかが今まで以上に問われることと思われる。
<参考文献>
*1 特許第2818226号